礼拝説教

礼拝メッセージ

ホーム > 礼拝説教:2013年礼拝メッセージ

『神の知恵によって』

説教:髙橋正人 牧師
聖書箇所 ヤコブ1:1-18

はじめに

ヤコブ書は、迫害で世界に離散したユダヤ人キリスト者に宛てて書かれました。しかし、内容は全てのクリスチャンに当てはまるものです。本日は、試練の中で与えられる神の知恵について、御一緒に見てまいります。

1.試練の意味

冒頭の部分で「さまざまな試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい。」(ヤコブ1:2)と語ります。これは、単なる思い込みや痩せ我慢をしなさいと命じているのではありません。信仰は、試練によって試され、本物であるということが証明されます。すなわち、試練によって信仰がためされると、忍耐が生み出されます(ヤコブ1:3)。この忍耐を働かせることによって、「何一つ欠けたところのない、成長を遂げた、完全な者」となるのです(ヤコブ1:4)。金や銀は、炉やるつぼによって精錬され純粋なものとなります。同様に、私たちの信仰は試練を通して信仰が訓練され、聖められ揺るがないものとされることを覚えましょう(箴言17:3)。

私たちは試練を乗り越えるために、ただ我慢して試練が通り過ぎるのを待っというのではありません。主は、「耐えられないほどの試練に会わせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えてくださ」(Ⅰコリント10:13)るお方です。なぜなら、「神は真実な方」であり、「だれにでも惜しげなく、とがめることなく」(ヤコブ1:5)私たちの祈りと願いを聞いて下さるからです。「二心のある人」のように主を疑ったりせず、「少しも疑わずに」主に信頼しましょう。

父なる神は、御子イエスの十字架によって、私たちを救って下さり、神の子とし、永遠の命を約束してくださいました。「私たちすべてのために、ご自分の御子をさえ惜しまずに死に渡された方が、どうして、御子といっしょにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがありましょう。」(ローマ8:32)主は全てのことを益として用いてくださることを信じ、主に委ねて行きましょう。

2.主を信じて知恵を頂く

「あなたがたの中に知恵の欠けた人がいるなら、その人は、だれにでも惜しげなく、とがめることなくお与えになる神に願いなさい。そうすればきっと与えられます。」(ヤコブ1:5)聖書は、私たちの信仰を成長させるために不可欠なもの一つに、「知恵」を挙げています。この「知恵」とは、世でいう一般的な知恵とは違います。神御自身を「あなたと私」という関係で深く理解させ、さらには、神の御言葉の真理を、私たちの実生活の場で適用する時に用いるためのものです(コロサイ1:9-10)。 私たちは聖書を通して御言葉を学び、主についての知識を蓄えます。しかし、知識をいくら蓄えていても、れを用いなければ何の役にも立ちません。今の様々な人生や生活に合わせて、御言葉の知識を適用し、実践するために必要なのが「神の知恵」です。

神の知恵は、神の御心を具体的に見分ける識別力を含みます。私たちの周りには、様々な情報や声が溢れています。このような中で、私たちは主に委ねられた果たすべきことを聞き分けなければなりません。聖霊を内に宿す私たちクリスチャンは(Ⅰコリント6:19)、神の御心を、神が与えてくださる知恵をもって見分けるようにして頂いていることを覚えましょう(ヨハネ10:3-4)。神の「知恵」は、求める者には「だれにでも惜しげなく、とがめることなく」主が与えてくださいます。また、祈りやデボーションなど、主との交わりの中で、自分に対する「神の御声」を尋ね求めてまいりましょう。

まとめ

私たちは、神の知恵を頂き、御言葉によって、試練は信仰を練り聖める、主との深い交わりの時であることを教えられます。信徒全てに内住される聖霊は、私たちに神の言葉を教え、思い出させてくださいます。主からあらゆる霊的な知恵と理解力を頂き、神の御心を教えて頂き、主にかなった歩みをして、あらゆる点で主に喜ばれ、あらゆる善行のうちに実を結ばせて頂きましょう。

このページのトップへ

日本アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団

神召キリスト教会

Copyright (C) Shinsho Church. All Rights Reserved.
〒114-0023 東京都北区滝野川 6-64-9
最寄り駅:JR板橋駅東口から3分/都営三田線新板橋駅から6分