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『神のものは神に返す』

説教:髙橋正人 牧師
聖書箇所 マルコ12:13-17

はじめに

本日は、主イエスを陥れようとしたパリサイ人らユダヤ人指導者に対する主の答えから、私たちはすべて、神にあって生かされているということを御一緒に見てまいります。

1.天に国籍を持って世を生きるキリスト者

祭司長や律法学者たちは、イエスの言葉じりを捕らえて陥れようとパリサイ人とヘロデ党の数人をイエスのもとに送ります。パリサイ人とヘロデ党とは、お互いに信仰や思想において相容れない者ですが、主イエスを陥れるために一致協力します。彼らの質問は、カイザルに税金を納めることは律法にかなっていることか否か(マルコ12:14)というもので、どう答えてもイエスにとって不利になるものでした。

主イエスは、彼らの「擬装」を見抜いて、デナリ銀貨を持って来るように言います(マルコ12:15)。そして、「カイザルのものはカイザルに返しなさい。そして神のものは神に返しなさい。」(マルコ12:17)と言われます。当時のデナリ銀貨は、ローマ帝国の通貨で、ローマ皇帝の肖像と銘が刻まれていました。主が敢えてデナリ銀貨を持って来るように言われたのは、彼らがローマの支配の下で生きているという現実を確認するためと考えられます。神の選びの民であっても、この世にあっては、そこに立てられている権力者のもとで生きているということを忘れてはなりません。また、それ以上に、「神のものは神に返しなさい」と主が言われているのは、地上に立てられた支配者、国家や権力は、主の御手の中にあるということを示しています。

私たちクリスチャンの国籍は天にあります(ピリピ3:20)。しかし、だからといって、私たちはこの世から隔絶した者ではありません。キリスト者もまた、主の導きによって、それぞれの地上の国の国籍をもって生きる者とされています。私たち信仰者は、自国に対して義務を果たし、国に立てられた指導者たちのために目を覚まして祈る使命があることを覚えましょう(Ⅰテモテ2:1)。

2.自分自身を神にお返しする

この世のものは、全て神が創造されたものです(創世記1章)。従って、時の権力者で「カイザルのもの」と言われるものも、実は神のものであり、この地に立てられた国家、権力、支配者もまた、神の御手の中にあるのです。ここで、主イエスが言われた「神のもの」というのは、何を意味するのでしょうか。主は、デナリ銀貨にカイザルの肖像と銘が彫られていることから、これを「カイザルのもの」と呼びました。そうであれば、神の肖像と銘が彫られたものとは、私たち人間のことを指していると理解できます。「神は人をご自身のかたちとして創造された。神のかたちとして彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。」(創世記1:27

人は、自分は自分のものであると考えます。自分の持っているもの、働いて得たものは自分のものであると考えます。しかし、人間は神の似姿が彫られている「神のもの」であり、人は自らを神にお返すべきものなのです。人間の主に対する罪は、神なくして自分の思うままに生き、自分の持っているものを自分のためだけに用いるところに現れます。心から、自分自身を生きた聖なる供え物として主なる神に捧げていく時、主との真の命に溢れる交わりに生きる者にされることを覚えましょう(ローマ12:1)。「自分のいのちを自分のものとした者はそれを失い、わたしのために自分のいのちを失った者は、それを自分のものとします。」(マタイ10:39

まとめ

聖書は、「すべて人間の立てた制度に従う」ことを命じています(Ⅰペテロ2:13-14)。それは、統治する者もされる者も全て、神を畏れることの中でなされるべきことです。主イエス御自身の歩みは、この世の支配の中に生きつつ、ご自身を完全に神に捧げたものでした(ヘブル5:7-10)。私たちは、天に国籍を持つ者として、神のものとされたことを日々喜びながら、この世にあって神の栄光を現す者とされましょう。

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