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『命の泉の湧くところ』

説教:髙橋正人 牧師
聖書箇所 ヤコブ3:1-18

はじめに

「心の時代」と言われて久しい昨今ですが、もともと聖書では「心」がとても大切なものであることを教えています。本日は、主から与えられた心を守ることについて、ヤコブ書からみてまいります。

1.舌(言葉)は大きな力を持ち人の行動を支配する

この箇所で、「舌」とは「言葉」のことです。聖書は、人間の器官の一つに過ぎない小さな「舌」が、いかに人生に大きな力をもっているかを記しています。そのことを、三つのたとえを用いて教えています。馬はくつわによって、大きな船も小さなかじによって思いどおりの所へと制御され、小さな火であっても大きな森を燃やすということです(ヤコブ3:3-5)。

しかし、舌が勝手に言葉を話すのではありません。主イエスは、「心に満ちていることを口が話すのです。良い人は、良い倉から良い物を取り出し、悪い人は、悪い倉から悪い物を取り出すものです。」(マタイ12:34-35)と語られました。舌と心は一つであって、舌は心の思いを語るのです。ですから、心に良いものが満ちていなければ、いくら自分の力で「舌(言葉)」を直そうとしても良いものは出てこないのです。

主イエスによって霊的に新生したキリスト者は、心が主の愛に満たされ、聖霊御自身が内に住まわれています。それは、この世の道徳や倫理というものを遙かに超えた主の恵みです。キリストを信じる以前の心は「悪い倉」でしたが、主の十字架の贖いによって、私たちキリスト者は、主にあって「良い倉」に変えられのです。「良い倉」から、主の恵みを伝え、兄弟姉妹の徳を高める言葉を語りましょう。

2.御言葉によって心を守れ

「力の限り、見張って、あなたの心を見守れ。いのちの泉はこれからわく。」(箴言4:23)とあります。これは、人の「心」は、その人の「いのち」と密接に関係していることを教えています。「心」は、内なる人の全体を表し、人の行動の根本になっていることを示しています。主は、天と地と全てのもの、そして、私たち人間を創造されました(創1章)。人の心は、もともと神を愛し、隣人を愛するために造られたのです。

しかし、罪のために主から離れてしまったために、主の豊かな命に生きることができなくなり、霊的には死んでしまっているのが人間の姿です。主イエスは、罪に死んでいる人間に対して「わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます。」(ヨハネ4:14)と語られました。主イエスは罪人のために身代わりとなって十字架にかかってくださり、主の永遠の命に生きる者となる道を備えてくださいました。このキリストの救いを受け入れ、主の命に溢れる人生を歩もうではありませんか。

私たちは毎日、私たちを主の愛から離そうとする多くの誘惑にさらされています。それらのことによって、心に与えられている主の恵みを奪われるようなことがことがあってはなりません。箴言で言われているように、力の限り、全力で心を守らなければなりません。心を守るには御言葉が絶対に必要です。御霊が与えてくださる神の言葉を、日々受け取りましょう。御言葉を心の倉に蓄える時、そこから命の泉が溢れ出すことを覚えましょう。

まとめ

私たちが毎日の生活の中で、何を語るかはとても大切です。言葉はそれ自体、私たちの心を表すだけではなく、私たちの生き方にも密接に関わるからです。聖書ははっきり、私たちが何を最優先すべきかを教えます。それは、「キリストのことばを、あなたがたのうちに豊かに住まわせ」(コロサイ3:16)ることによって心を守り、主に対する感謝と賛美に満ち溢れて生活することです。主は御言葉によって、私たちの心を潤し、豊かな命の泉を溢れ流れさせてくださいます。

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