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『命のパン、キリスト』

説教:髙橋正人 牧師
聖書箇所 ヨハネ6:22-40

はじめに

主イエスは五つのパンと二匹の魚で、およそ五千人の人々を満腹にする奇跡を行われました。このしるしは、主が私たちの肉体の糧と共に、霊の糧をもを与えてくださるお方であるということを示しています。本日は、永遠の命のパン、糧となられた主イエスを見てまいります。

1.パンの奇跡を見た人々が求めたもの

主イエスは、御自身が天から下って来られたいのちのパンであり、主に来る者は決して飢えることも渇くこ主イエスが行ったパンの奇跡を目当てにやって来た人々に対して、主イエスは「あなたがたがわたしを捜しているのは、しるしを見たからではなく、パンを食べて満腹したからです。」(ヨハネ6:26)と言われました。これは、人々が主イエスのことを理解せず、自分たちの願いや望みを満足させてくれるお方としか見ていなかったということを示しています。いつの時代も、人は自分の空腹を満たし、自分を満足させるものを求めます。しかし、この世のものは、真に人に満足を与えるものではないどころか、朽ち果てて、過ぎ去るものでしかありません。

創造主である神は、私たち人間を主に似せて創造されました(創世記1:26)。ですから、人は主と共に生きる時、主に与えられた真の命をもって、豊かに、永遠に生きるものとされるのです。「人はパンだけで生きるのではない、人は主の口から出るすべてのもので生きる」(申命記8:3)。私たちは朽ちるこの世のものではなく、永遠に朽ちることのない、主が与えてくださる命に生きようではありませんか。

2.主はいのちのパンを私たちに与えてくださる

イスラエルの先祖たちは、偉大な指導者モーセによって、奴隷となっていたエジプトから脱出しました。その後、約束の地を目指す荒野の四十年間、主はモーセを通してマナという食べ物を与えられました(出エジプト16:31)。しかし、偉大な指導者モーセでさえ、イスラエルの民を永遠の命へとは導くことはできませんでした。主イエスが、「あなたがたの父祖たちは荒野でマナを食べたが、死にました。」(ヨハネ6:49)と言われた通りです。

主イエスは、御自身が天から下って来られたいのちのパンであり、主に来る者は決して飢えることも渇くこともないと宣言されました(ヨハネ6:33-35)。主を信じる者は、誰でも永遠の命をいただいて、この命に生きるようにされています。この世のもので、いくら私たちが満足を得たとしても、それはいつまでも私たちを養うものではありません。私たちの心を真に満たし、永遠の命を与えてくださるお方はイエス・キリスト以外にはないことを覚えて、主を心に受け入れましょう(使徒4:12)。

3.いのちのパンはイエス・キリスト

主は「人の子の肉を食べ、またその血を飲まなければ、あなたがたのうちに、いのちはありません。わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠のいのちを持っています。わたしは終わりの日にその人をよみがえらせます。」(ヨハネ6:53-54)と語られました。当時、これを聞いた人たちは、誰一人としてこの言葉を理解することはできませんでした。そればかりではなく、「これはひどいことばだ。そんなことをだれが聞いておられようか。」(ヨハネ6:60)と躓いた者たちさえいたのです。

主イエスの言葉は、後に主が十字架で御自身の肉を裂かれ、血を流されることで成し遂げられました。主の十字架の贖いを通して、天の父なる神は、私たちに「いのちのパン」である御子イエスを与えてくださいました。私たちはそのパンを食べなければなりません。「いのちのパン」とは、御子イエスのことです。「いのちのパンを食べる」とは、主イエスを救い主と信じ、心に受け入れることです。私たちは、毎日必ず肉の糧をいただくように、常に主の御言葉と御霊をいただいて歩み続けようではありませんか。

まとめ

主イエスは、私たちに永遠の命を与える「いのちのパン」として、世に来てくださいました。このいのちのパンである主と共に生きる時、「飢えや渇き」から解放され、主の豊かな命に生きるようにされることを覚えましょう。毎日、「いのちのパン」である主イエスによって養われて生かされることを喜び、感謝しようではありませんか。

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