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『聖霊が注がれる時』

説教:髙橋正人 牧師

はじめに

本日はペンテコステ礼拝です。約束の聖霊が主の弟子たちに降り、教会が誕生した記念すべき日です。今朝は、今も私たちに豊かに与えられている聖霊について、エゼキエル書から御一緒に見てまいります。

1.神の息が人々を生き返らせる

ここは、「枯れた骨の復活」と言われる箇所です。当時、イスラエルは、主から遣わされた多くの預言者たちの警告を無視した結果、バビロンによって滅ぼされてしまいました。国を追われ、遠くバビロンの地で捕囚の民として生きるイスラエルの民は、希望を失い、まさに霊的には枯れた骨のような状態でした。

主は望みを失っている民に、預言者エゼキエルを通して神の民としての回復を与える幻を与えられます。それは、干からびた骨のようになっている人々が、預言者エゼキエルを通して語られる神の言葉によって、生き返るというものです。「息よ。四方から吹いて来い。この殺された者たちに吹きつけて、彼らを生き返らせよ。」(エゼキエル37:9

息に預言せよ」とは、聖霊が働くことを表しています。今日の私たちの国、社会の現状を見る時、希望がなく、人の力ではどうにもならない問題で苦しんでいる人々が多くいることを覚えます。しかし、人の目には希望の全くないような状況であっても、主の力ある御言葉を聞く時、干からびたような骨が聖霊によって回復されることを覚えましょう。

2.主は聖霊を惜しみなく与えてくださる

預言者エゼキエルは、主の命令通り息に預言すると息が民の中に入り、人々が生き返り、自分の足で立ち上がり、非常に多くの集団となる幻を見せられます(エゼキエル37:10)。死んだ干からびた骨のようになっている者は、まず、主が遣わした預言者の言葉が語られ、次に、主の霊が与えられることによって生き返ると主は示されます。

罪によって霊的に死んだ私たちが生きたものとなるには、主の御言葉を受け入れ、主の霊を受けることです。人を救うのは主の働きです。聖霊は、「罪について、義について、さばきについて、世にその誤りを認めさせます。」(ヨハネ16:8

エゼキエルの預言から約500年後のペンテコステの日に(使徒2章)、祈り求めるキリストの弟子たち全てに、約束の聖霊が与えられました。それまで、弟子たちは主イエスが十字架刑にされ、自分たちも捕らえられるのではないかと恐れて隠れていました。しかし、彼らが復活の主イエスに出会い、約束の聖霊を受けた時、主イエスの十字架の贖いと復活を大胆に宣べ伝えて行き、主を信じる者の群れが拡大して行きました。この聖霊の働きは、今日に至るまで続いています。聖霊は、終わりの日に全ての者に与えられると約束されています(ヨエル2:28-29使徒2:17-18)。また、主イエスは、求める者に聖霊を必ず与えると宣言してくださいました(ルカ11:13)。「聖霊を受けなさい」(ヨハネ20:22)私たちは、聖霊を求めて、聖霊に満たされ続けましょう。

まとめ

罪のために干からびた骨のようになっていた私たちに、父なる神は御子イエスを遣わしてくださいました。私たち一人一人は、御言葉と聖霊によって罪を赦され、神の子とされ、主の永遠の命に生きる者とされました。エゼキエルはさらに、聖霊が信じる者たちから溢れ流れ出し、全世界に満ちあふれるという幻を見ます(エゼキエル47:9)。今日、主イエスを信じる私たちクリスチャンから、キリストの命が流れだし、人々を救いへと導く証し人とされていることを覚えましょう。主イエスは、主を信じる者は、その心の奥底から、生ける水の川が流れるようになると語られました(ヨハネ7:38)。聖霊を求め、満たされ続けようではありませんか。

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