礼拝説教

礼拝メッセージ

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『私の霊によって』

説教:髙橋正人 牧師
聖書箇所 ゼカリヤ4:1-15

はじめに

ここは、神殿の再建工事に取り組む神の民に向けて啓示された、主の励ましと戒めが記されているところです。本日は特に、主が注がれる聖霊によってのみ、主の働きが進められるという主の言葉を見てまいります。

1.神殿の再建=礼拝の回復

バビロン捕囚から70年後、イスラエルの人々は、故郷への帰還を許されます。ゼカリヤは、何よりも優先して、神を礼拝する神殿を再建することが第一のことと考えました。神殿再建は、真の神を礼拝するということ、神を第一にするということを表しています。主を礼拝することは、すべての問題に先だってすべきことです。イスラエルの国の復興は、先ず何より、礼拝の回復から始まったことを覚えましょう。

人の力で物事を行っていると思えるような時、表面上では何も問題がないように見える場合でも、心が満たされず、むしろ飢え渇きさえ覚えるような事があります。生けるまことの神を礼拝することは、キリストにあって神の子どもとされた私たちの特権であり、喜びと力の源泉であることを覚えましょう。私たちの国においても、教会においても、個人個人の信仰生活も、まず主を礼拝することから始まります。先に主の救いを受けたクリスチャン一人一人が、主の命に溢れた力強い信仰生活に生きる時、健全な教会が建て上げられ、そこに主が日々に救われる仲間を加えてくださることを覚えましょう(使徒2:46-47)。私たちは日々、先ず、主を礼拝することから始めましょう。

2.主の使命を完成してくださる聖霊

帰還を許されたイスラエルの民は、喜びをもって帰国した後、神殿再建を始めます。しかし、周辺諸国から反対や妨害、ソロモン王時代とは比べものにならない、圧倒的な人手不足や資金不足で再建計画は遅々として進まず、再建工事は16年間途絶えてしまいます。民の心は、失望と挫折のうちに、いつしか主に対するかつての情熱を失ってしまいます。

この様な時に、二人の指導者、ゼルバベルとヨシュアに、主が励ましを与えられます (ゼカリヤ4:6-7)。主は、ゼカリヤに金の七つのともしび皿からなる燭台と、二本のオリーブの木の幻を見せます。その幻とは、世を照らす神の光を象徴する燭台の火が、燭台の両隣にあるオリーブの木から供給されるオリーブ油によって燃え続けているというものです。このオリーブの木から供給されるオリーブ油は、聖霊を表します。この聖霊の油注ぎによって、主の御業が成し遂げられるのです。それで、主はゼカリヤに言われます。「権力によらず、能力によらず、わたしの霊によって」(ゼカリヤ4:6)。人間的な能力や、人の権力によって主の御業がなされるのではありません。主が注がれる聖霊によってのみ、主の働きは進み、完成されるのです。

私たちの人生には、人間の能力や力だけでは、どうすることもできない山のような大きな問題に直面しなければならないことがあります。自分の出来る限りの能力や力を傾け、大きな問題に向かっても失敗と挫折の繰り返しのような結果に終わり、挫折感と失望感に襲われ、意気消沈してしまうようなことがあります。しかし、主の霊である聖霊が注がれ続けているのですから、私たちの信仰の火は決して消えてしまったり、燃え尽きることはないことを覚えましょう。また、聖霊を求める者には、主は惜しみなく聖霊を与えられることを信じて、聖霊を求めてまいりましょう(ルカ11:9-13)。

まとめ

ゼカリヤを通して、総督ゼルバベルに与えられた主の言葉(ゼカリヤ4:6)は、主から与えれた働きは、人間的な力ではなく、主によって完成されることを教えています。私たちが聖霊の力に信頼する時、人間の能力や力、努力だけではなし得ないことを、主が私たちのために成し遂げてくださいます。この聖霊を求め、主イエスの言葉に聞き従って歩ませていただきましょう。

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