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『恐れるな』

説教:髙橋正人 牧師
聖書箇所 ルカ12:22-34

はじめに

本日は、主イエスが弟子たちに命のことなどで心配したり、恐れることはないと命じられたことについて見てまいります。

1.心配するのはやめなさい

ここは、主イエスが「自分のためにたくわえても、神の前に富まない」(ルカ12:21)愚かな金持ちのたとえを語られた後に続く箇所です。人間は、いつの時代であっても、常に、自分の命や体のことで「心配」を抱いています。ですから、この世にあるものだけが自分を生かし、養うものと考える時、「いのちのことで何を食べようか」、「からだのことで何を着ようか」という心配が起こるのです。主イエスはこれらのことで「心配したりするのはやめなさい」と命じられました。

主イエスは、心配しなくてもよいという理由を教えるために、「烏」や「ゆりの花」のたとえを用いられます。すなわち、主が、烏もゆりの花も、どちらも養い、装ってくださっているということ。それならば、それらよりもはるかに主の目に尊い存在である私たち人間には、主はどんなにかよくしてくださることでしょうか(ルカ12:24-28)。

創造主である神が、私たちの全てをご存じであり、あらゆる必要を満たしてくださいます。さらには、私たちは、主イエスをよみがえらせた復活の命をいただいた者です。主が与えてくださる新しい命に生きる者とされていることを覚え、感謝して主と共に生きて行こうではありませんか。

2.神の国を求めなさい

主イエスは、命や体のことで心配する弟子たちに対して、「ああ、信仰の薄い人たち」(ルカ12:28)と言われました。「心配するのはやめなさい」とは、逆に言うなら、主に信頼しなさいということです。私たちが主によって生かされ、養われているということを知る時、思いわずらいや思い悩むことはなくなるのです。

私たちをこの「心配」から救い出してくださるために、主イエスは、「何はともあれ、あなたがたは、神の国を求めなさい。」(ルカ12:31)と語られます。「神の国」とは、神がその全能の力をもって全てを治めること、また、主の御臨在そのものを意味します。ですから、「神の国を求める」とは、み言葉の力を信じて従うことです。私たちを愛し、命と体を与え、それを養い装ってくださる父なる神のご支配こそ、私たちを本当に生かすものであり、私たちが本当に求めていくべきものなのです。この神のご支配の中において、「これらの物」すなわち、私たちの命や体に必要なものが加えて与えられるのです。

私たちの「恐れ」とは、本来畏れるべき主を見失っていることによって生まれてくるのです。私たちがこの世での様々なことに心配する前に、主は私たちのあらゆる必要をご存じであり、満たしてくださるお方であるということに心を向け、主に感謝して歩みましょう。「あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。」(Ⅰペテロ5:7

まとめ

私たちは、主に対する罪のために、主の恵みに気が付かず、自分の力で命を保ち、人生を築き上げようと躍起になっています。しかし、主は私たちにあらゆる良きものを与えてくださるお方であることをもう一度覚え、感謝しましょう。「この世で富んでいる人たちに命じなさい。高ぶらないように。また、たよりにならない富に望みを置かないように。むしろ、私たちにすべての物を豊かに与えて楽しませてくださる神に望みを置くように。」(Ⅰテモテ6:17

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