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『キリストにある望み』

説教:髙橋正人 牧師
聖書箇所 ローマ8:18-25

はじめに

私たちは、この世にあっては罪との戦いがあり、罪のために生じる苦難や問題などと向き合わなければなりません。本日は、今の苦しみの正しい理解と、主から受ける将来の希望の偉大さを見てまいります。

1.将来の栄光を目指して歩む

聖書は、キリスト者でも、罪との戦いや患難や苦難を通ると語ります。しかし、パウロは、それらは将来私たちに与えられる主の栄光に比べるなら「取るに足りない」と断言します。これは、ただ忍耐して現実から逃避しなさいと教えているのではありません。主の約束である栄光の希望が与えられることを信じて、目の前の苦難に押し潰されることなく、主イエスの復活の命に生かされているという大いなる平安の内を歩みなさいと、クリスチャンたちを励ましているのです。

「将来私たちに啓示されようとしている栄光」とは、主イエスの再臨の時に、完全な神の子とされ、永遠の命を受け、神の相続人とされることです。この約束に生きたパウロは、四方八方から苦しめられても窮することはなく、途方にくれても行きづまることなく、迫害されていても見捨てられることはないと言い切りました。私たちは、主イエスによって神の栄冠を得るために、主を見上げて一心に信仰生活を走り続けましょう(ピリピ3:14)。

2.再臨の主を待ち望む

最初の人間アダムは、自然世界を治め管理する務めを主から託されました(創世記2:15)。しかし、彼は神に対して罪を犯しました(創世記3:1-13)。人の罪によって、神と人との交わりは破壊され、それに伴って、人間関係ばかりではなく、人と自然の関係さえも壊されてしまいました(創世記3:14-24)。パウロは、人間の罪によって、全ての被造物が主の贖いを望んでうめいている声を聴き取りました(ローマ8:19)。

パウロは、父なる神が、主イエスの十字架によって私たちの罪を贖い、私たちを神の子として新しく生まれさせる救いの道を備えてくださったことを述べます。また、被造物全体が、主イエスを信じる神の子たちが再び神から託された務めをすることを待ち望んでいることを教えます。

すでに主イエスの十字架の贖いによって、救いの御業は信者たちのうちに始められています。しかし、私たちが完全に贖われるためには、主イエスが再臨されるのを待たなければなりません(ローマ8:23)。主が再び来られる日まで、患難や苦難は続くことでしょう。しかし、主イエスは世に勝たれたお方であり、私たちのうちに始めてくださったことを完成してくださることを覚えましょう(ヨハネ16:33)。

3.聖霊賦与は救いと御国を受け継ぐことの保証

「私たちは、この望みによって救われているのです。」(ローマ8:24)とある通り、クリスチャンには将来に対する大いなる希望が与えられています。その希望とは、主イエスの再臨の時、私たちのからだを含めた全てが贖われるというだけではなく、最初の人間の罪によって呪われてしまった被造物全てとの関係も回復されるという壮大なスケールの贖いです。

クリスチャン全ての希望とは、神のうちに住まわせて頂き、神との愛の永遠の交わりの中に入れられることです。「御霊の初穂」とは、私たちが御国を受け継ぐことの最初の保証として、父なる神が私たちに聖霊を与えてくださったことです(エペソ1:14)。聖霊は、すべての救いが完全なかたちで与えられるということを、私たちに確信させてくださいます。救いの確信と、御国を受け継ぐことの保証として聖霊が私たちに与えられていることを覚え、主の御名をほめたたえましょう。主に愛されているという事実以上にまさる大いなる希望はないのです。

まとめ

私たちは主イエスの十字架の贖いによって、罪を赦され、神との永遠の命の交わりに入れられました。それでも、罪との戦いや、困難や問題が襲ってきます。しかし、今のこの時の患難は、将来主が与えてくださる栄光に比べるなら、全く取るに足らないものであることを聖書は語っています。私たちの最大の敵であり、恐れである死に打ち勝ってくださった主は、私たちにも勝利を与えてくださることを覚えましょう。この主イエスにあって、私たちは、この地上での歩みを、主の勝利者として歩み、後に与えられる栄光を待ち望んで主と共に前進して行きましょう。

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