礼拝説教

礼拝メッセージ

ホーム > 礼拝説教:2013年礼拝メッセージ

『主の翼の下で』

説教:髙橋正人 牧師
聖書箇所 ルツ2:1-13

はじめに

ナオミは、モアブの地で何もかも失って、嫁のルツと一緒に自分の故郷ベツレヘムに帰って来ました(ルツ1:20)。しかし、彼らがベツレヘムに帰ることは、主の祝福と慰めの始まりでした。

1.「はからずも」、「ちょうどその時」

異邦人であるルツにとって、知る人の全くいないベツレヘムでできることは、落ち穂拾いでした。ナオミの許可を得た後、ルツが行った畑は「はからずも」ナオミの夫エリメレクの一族に属するボアズのものでした。また、「ちょうどその時」、ボアズはベツレヘムからやって来て、ルツと出会うのです。これらの偶然と思えるようなことにおいて、「時」「場所」「人」を備えてくださり、人々の背後で働いてくださっている主がおられることが分かります。

主は私たちの救いのために、天地創造以前から愛をもってあらかじめ私たちを覚えて、救いを備えてくださっていました(エペソ1:4-5)。主の御計画は、人の考えや思いを遥かに超えるものです。私たちは、主の救いを頂くために、罪を悔い改めて主イエスを信じましょう。主イエスに、「はからずも」出会った時、それは偶然ではなく、主の方からあなたに近づいて来てくださったのです。そして、「ちょうどその時」こそが、主イエスを信じる時であることを覚えましょう。

2.ボアズとルツの信仰

ルツは、ナオミに自分の故郷へ帰るようにと勧められましたが、「あなたの民は私の民、あなたの神は私の神です」(ルツ1:16)という固い決心を持って姑に従います。ルツにとって、姑と共にベツレヘムに行くことは、人間的には将来の希望も望みもないことでした。しかし、ルツはナオミが信じている神を信じて、一緒にイスラエルに行ったのです。

一方、ボアズはその地の有力者であり、主の憐れみを知っている信仰者でした。彼の信仰と誠実さは、彼の畑で働く労働者たちを祝福すること(ルツ2:4)、また、律法に従って、貧しい者や在留異国人たちに許された労働である落ち穂拾いを許していることで分かります(レビ19:9-10)。

ボアズは、自分の畑で落ち穂拾いをするルツの働きぶりについて知ると、彼女に対して幾つかの憐れみを示します(ルツ2:8-16)。彼のルツに対する憐れみは、見返りを求めるものではありませんでした。それは、ルツが素直にボアズの憐れみを受け入れた態度から明らかです(ルツ2:13)。

このボアズのルツに対する憐れみは、主の私たちに対する憐れみを指し示しています。生活の困窮者であるルツの姿は、霊的な意味で貧しくなっている私たちの姿であり、ボアズの姿は主イエス・キリストを通して、私たちの救いの必要の一切を満たしてくださる父なる神の姿を示しています。

父なる神は、私たちの救いのため、ひとり子イエスの命さえ惜しまずに与えてくださいました。主イエスの十字架の贖いは、私たち罪人を贖うための真実な神の愛を表しています。これは父なる神からの一方的な憐れみであり、恵みです。ルツがボアズの憐れみを受け入れたように、私たちも主イエスの十字架による贖いを信仰によって受け入れましょう。

まとめ

主は私たちのことをよく知っておられ、あらゆる必要を備えてくださるお方です(創世記22:14)。ルツやナオミ、そしてボアズを導いた主は、今も生きて私たちと共におられるお方です。逆境や苦難の時、この世の権力や富などにではなく、主に信頼してまいりましょう。主は、その力強い御翼の下に助けを求め、身を避ける者を顧み、憐れみと豊かな恵みをもって祝福を与えてくださいます。

私たちにできることは落ち穂拾いのような小さなことかもしれまん。しかし、主にあっては、それが祝福の第一歩となることを覚え、できる小さなことからさせていただきましょう。私たちが主に信頼して、信仰をもって一歩踏み出す時、私たちの知らないところで、主はあらゆる必要を備えてくださっていることを覚えましょう。「神は、あなたがたを、常にすべてのことに満ち足りて、すべての良いわざにあふれる者とするために、あらゆる恵みをあふれるばかり与えることのできる方です。」(Ⅱコリント9:8

このページのトップへ

日本アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団

神召キリスト教会

Copyright (C) Shinsho Church. All Rights Reserved.
〒114-0023 東京都北区滝野川 6-64-9
最寄り駅:JR板橋駅東口から3分/都営三田線新板橋駅から6分