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『主の導きに従う幸い』

説教:高橋正人 牧師

はじめに

アブラハムのしもべは、主の導きに従って行動し、イサクの妻リベカを探し出しました。またリベカは、イサクの妻となることを主によって導かれたと信じ、主に従いました。本日は、主の導きに従った者たちの幸いについて、ご一緒に見てまいります。

1.主の契約を第一としたアブラハム

アブラハムは年を重ねて老人になりましたが、主は、あらゆる面でアブラハムを祝福しておられました(創世記24:1)。それは、彼がその生涯を通して主を信じ、主の導きに従って生きたからです。アブラハムは、晩年に至って、息子イサクの妻を探すために、「自分の全財産を管理している家の最年長のしもべ」を選びます。イサクの妻の条件の一つは、カナンの地ではなくアブラハムの故郷にいる親族の中から選ぶこと(創世記24:3-4)。もう一つは、息子イサクを約束の地であるカナン以外には連れて行かないことでした(創世記24:6-8)。彼は、次世代を担う息子イサクとその伴侶も、主を信じて、その導きに従って生きることが最も幸いであることを知っていたのです。

私たちの人生において、もの事を決断し、判断する時、どんなことに重きを置いているでしょうか。私たちの人生における決断の基準は、どんな時も御言葉に根ざしているべきです。

2.アブラハムのしもべの信仰

アブラハムから全権を委ねられたしもべは、主人の信頼が篤い、しもべの中でも最年長の者でした。彼は、人も人生も知り尽くした経験豊かな知恵者であり、人の心を動かしたり、自分の望むように事態を進ませることも出来る人であったことでしょう。しかし、彼は自分の知恵や経験を頼みとしたのではなく、アブラハムの信じている主の導きに頼みました。それは、彼がアブラハムの故郷に着いた時、真っ先に行ったことが主に祈ることだったことから理解できます(創世記24:12)。

しもべは、主が自分の旅の目的をかなえてくださるのか否かをしっかりと見定め(創世記24:21)、主がアブラハムに恵みを施してくださることを確信すると、直ちに行動を開始します。主は、しもべに対して、彼が祈り願った以上のことを成し遂げてくださったのです。主の御業を見て知ったしもべは、ひざまずいて主を礼拝し、アブラハムの主をほめたたえました(創世記24:52)。しもべの働きは、祈りから始まり、感謝の祈りで終わっています。しもべの関心は、主人のアブラハムを喜ばせることであり、そのために、徹頭徹尾自分の主人であるアブラハムに仕えたのです。

3.リベカの信仰

リベカは「このことは主から出たこと」であると信じ、直ちに主の導きを信じて全てを委ねて、まだ会ったこともない相手と結婚するために、未知の国へと出発します(創世記24:50-58)。この彼女の信仰姿勢は、アブラハムが主の御言葉に従ったときの信仰と同じです(創世記12章)。リベカの信仰による決心によって、イスラエル(ヤコブ)が誕生したばかりではなく、彼らの子孫として生まれて下さった主イエスによって、今日の私たち信仰の民への祝福が与えられているのです。

アブラハムやそのしもべ、リベカのように、私たちも主の導きに直ちに従いましょう。いろいろな理由を付けたり、自分が納得するまで先に延ばすことは、主の導きに対する従順ではありません。信仰による決断は、主にたいする服従と献身を伴うものです。主は、主を信頼して自分自身を委ねて従う者を、決して見捨てることなく、必ず導いてくださり、助けを与えてくださるお方です。

まとめ

アブラハムから始められた主の救いの約束の継承は、イサクとリベカの結婚から始まり、イスラエル民族の歴史を通して継承され続け、主イエスの十字架と復活において完成しました。キリストと教会の関係は、夫婦の関係にたとえられています(エペソ5:22-33)。私たちはキリストに愛されている花嫁として、キリストに従い、主の導きに生きる時、そこに主の秩序があり、祝福と恵みが溢れ流れるのです。

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