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『聖なる地に立つ』

説教:高橋正人 牧師
聖書箇所 ヨシュア5:10-15

はじめに

約束の地カナンを攻め取るための戦いは、主の戦いでした。この戦いに勝利するために、主はイスラエルに霊的準備をさせました。私たちも、この世にあって勝利を得るためには、霊的備えが必要です。本日は、その備えについて見てまいります。

1.割礼

イスラエルのカナン攻略は、主の戦いです。霊の戦いのために、主は民に霊的な備えをするように語られます。最初の備えは、全てのイスラエルの民が割礼を受けることでした。割礼は、主がアブラハムとその子孫とに結ばれた主の民であることのしるしで(創世記17:10-13)、約束の地カナン獲得においても、主が伴ってくださるということを示すものです。

今日の私たちクリスチャンは、霊的なイスラエルです。私たちにとって、主の民であるという契約のしるしは、肉の割礼ではなく、御子イエスの十字架の贖いです。「キリストにあって、あなたがたは人の手によらない割礼を受けました。肉のからだを脱ぎ捨て、キリストの割礼を受けたのです。」(コロサイ2:11-12)ですから、キリストにあって割礼を受け、新しい契約の民とされた私たちは、主イエスを信じる信仰によって主の祝福を頂き、御霊に導かれて信仰生活を歩み続ける約束の民とされたのです。

2.過越の祭り

ヨシュアは割礼を受けた者たちと共に、その月の十四日に過越のいけにえをささげました(ヨシュア5:10)。過越の祭りは、割礼を受けた者しか行えません。この日をもって、マナが降ることはやみ、イスラエルの民はカナンの土地で収穫した物を得て生活することが求められました。

イスラエルの民が割礼を受け、過越の祭りが行われたことは、主と民との関係が完全に修復されたことを示します。このことは、カナンの地に出陣するイスラエルにとって、主の戦いを進めるための第二の霊的な備えでした。

私たちクリスチャンは、主が復活された週の初めの聖日に教会に集まり、主を礼拝します。主は、私たちが神の恵みと救い、約束と希望、そして教会の一致のしるしを、聖餐という目に見える形で示して下さいました。私たちは、父なる神の憐れみによって、救いと永遠の希望を与えられていることを感謝し、主イエスと共に歩ませていただいていることを覚えて、益々主の御名をほめたたえましょう。主を礼拝することは、私たちがこの世に出て行く時の霊的備えなのです。

3.主の軍の将

割礼、過越の祭りと準備が整った後、ヨシュアはエリコの近くで、「ひとりの人が抜き身の剣を手に持って、彼の前方に立って」(ヨシュア5:13)いるのを見ます。ヨシュアは、これから攻め入ろうとするエリコの城壁を見ながら、今後の計画や作戦のことで、考えが一杯になっていたことでしょう。ですから、ヨシュアの関心事は、目の前に現れたこの人がイスラエルの味方か敵かということでした(ヨシュア5:13)。その人の答えは、「いや、わたしは主の軍の将として、今、来たのだ。」(ヨシュア5:14)でした。イスラエルの軍の将であるヨシュアは、主の軍の将の指揮下にあることを知らされ、約束の地カナンの征服は、ヨシュア一人の使命ではなく、主によって委任されものであり、この戦いが主の戦いであることを教えられます(ヨシュア5:15)。

私たちクリスチャンの人生の戦いも、常に、主の指揮下にあって、委ねられていることを覚えましょう。主の戦いであるなら、「あなたがたはこのおびただしい大軍のゆえに恐れてはならない。気落ちしてはならない。この戦いはあなたがたの戦いではなく、神の戦いであるから」(Ⅱ歴代誌20:15)という御言葉に立ち、「神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。」(ローマ8:31)という信仰に立とうではありませんか。

まとめ

「私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。」(エペソ6:12)私たちの毎日の生活の場は、霊的な意味において、主の戦いの場といえます。主の戦いに加わる者として、「邪悪な日に際して対抗できるように、また、いっさいを成し遂げて、堅く立つことができるように、神のすべての武具を取ってまいりましょう(エペソ6:13

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