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『私たちを背負われる神』

説教:高橋正人 牧師
聖書箇所 イザヤ46:1-4

はじめに

本日は、主が私たちが生まれる前から知っておられ、年を取ってしらがになるまで、常に私たちを背負ってくださるお方であるということを見てまいります。

1.真の神、主にのみ信頼せよ

バビロン捕囚で弱り果て、信仰さえも無くして偶像を拝むようになったイスラエルの民に、主は預言者イザヤを通して、真の神に立ち帰るようにと語りかけます。バビロンの力が世に君臨するのは、永遠ではありません。時の覇者バビロンも、後のペルシャによって滅ぼされます。その時の様子をイザヤは語っていますが、ベルやネボなどのバビロンの偶像は民を守るどころか、自力で逃げることもできず、人の手によって運ばれ重荷にさえなるというのです(イザヤ46:1,2)。

パウロは、コリント教会に宛てた手紙の中で、エジプトを脱出したイスラエルの民は、私たちクリスチャンと同じようにバプテスマを受け、同じ御霊を受けたにもかかわらず、偶像礼拝を行ったために滅ぼされたということを語っています(Ⅰコリント10:1-14)。このことは、当時のイスラエルの人々だけのことではなく、今日の私たちも同じであることを戒めています。今、私たちの心を占めているのは何でしょうか。

2.私たちを背負ってくださる主

私たちの主は、天と地を創造されたお方であり、人が仕えてお世話をしなければ不足があるような方ではありません。むしろ、主が全ての人に命を与え、それぞれの民族を造り出し、その歴史を導いておられます(使徒17:24-26)。出エジプトの時も、「荒野では、あなたがたがこの所に来るまでの、全道中、人がその子を抱くように、あなたの神、主が、あなたを抱かれたのを見ているのだ。」(申命記1:31)との約束を示してくださっていました。この創造主なる神は、常にイスラエルを覚えておられ、「生まれる前前から運び」、年をとってしらがになっても背負って運び、救い出してくださると宣言しておられます(イザヤ46:3,4)。

現在、過去、未来と変わることのない主の約束は、今も真実です。「正しい者は、なつめやしの木のように栄え、レバノンの杉のように育ちます。彼らは、主の家に植えられ、私たちの神の大庭で栄えます。彼らは年老いてもなお、実を実らせ、みずみずしく、おい茂っていましょう。」(詩篇92:12-14)主が、私たちキリストを信じる者を最後まで背負い続けてくださるのですから、私たちは主に全てを委ねて歩んで行きましょう。

3.生ける真の神、主イエス・キリスト

私たちは、信仰という名のもとに、自分の行いと自分の力で主の働きをしようとする弱さを持っています。もしそうなら、私たちはいつしか疲れ果ててしまいます。それはあたかも、人が神を運ぼうとしていいるようなものだからです。しかし、私たちが神を運ぶのではありません。主イエスは、私たちの罪の身代わりとして十字架を背負ってくださいました。主は「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます」(マタイ11:28)と語ってくださっていることを覚えましょう。魂に安らぎを与えてくださる主イエス学ぼうではありませんか(マタイ11:29)。

私たちに、真の救いを与えることができ、語りかけ、呼びかける神こそ、「生けるまことの神、主イエス・キリスト」です。その神が私たちに「わたしのほかに神はいない。正義の神、救い主、わたしをおいてほかにはいない。地の果てのすべての者よ。わたしを仰ぎ見て救われよ。わたしが神である。ほかにはいない。」(イザヤ45:21,22)と語りかけてくださっていることを覚え、この神に応えて行こうではありませんか。

まとめ

偶像は人が作った物で、人を救うものでもありません。それらに寄り頼むことはむなしいと、聖書は教えています。生ける真の神は、天地万物を創造された方であり、私たち一人ひとりの名を呼んで救いに入れてくださり、私たちの祈りに応えてくださるお方です。その神は、私たちのことを生まれる前から知っておられ、しらがになっても、世の終わりまでも背負ってくださるお方です(マタイ28:20)。主が如何なる時にも、いつも共にいてくださるということ以上の幸いはありません。

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