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『御子を信じる者は』

説教:高橋正人 牧師
聖書箇所 創世記12:1-9

はじめに

主は、アブラハム(最初は、アブラムという名)という一人の人を選び、彼によって地上のすべての民族が祝福を受けるという約束をしてくださいました。本日は、アブラハムの召しから、主の救いの御計画を見てまいります。

1.主の選びによって

アブラハムは、主のみ言葉に従って、生まれ故郷である父の家を離れて、行き先も知らされないままに、主が示される地に旅立ちました。主がアブラハムを選ばれた理由は、聖書には全く記されていません。むしろ、アブラハムもその父テラも、真の神を知らずに他の神々を拝んでいたと考えられます(ヨシュア24:2-3)。主が人を選ばれるのは、その者の能力や性格や背景などを評価したからではなく、主の一方的な恵みによるのです(エペソ2:5,8)。

今、私たちも主イエスによって罪赦され、神の子とされて、神を礼拝する者とされました。それは、イエス・キリストの十字架の死と復活という、主の一方的な恵みによる救いのゆえです。私たちは、主が与えてくださった救いの恵みを、感謝していただき、主の力と導きを信じ、全てを主に委ねて歩み続けてまいりましょう。

2.主の訓練

「わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとしよう。あなたの名は祝福となる。・・・地上のすべての民族は、あなたによって祝福される。」(創世記12:2-3)との約束を主から受けた時、アブラハムは自身は75才で(創世記2:4)、彼の妻サライは「不妊の女で、子どもがなかった」(創世記11:30で)のです。人間的に見るならば、主が語られたことは、アブラハム夫妻にとって有り得ないことでした。しかし、「信仰によって、アブラハムは、相続財産として受け取るべき地に出て行けとの召しを受けたとき、これに従い、どこに行くのかを知らないで、出て行きました。」(ヘブル11:8

この後、主の御言葉に従って旅立ったアブラハムは、様々な試みを受けます。激しい飢饉(創世記12:10)や、自分の子孫のことについて(創世記16章、創世記17:17)、主の言葉を信じてはいましたが、最善と思われる道を自分で選んでしまいました。しかし、主はアブラハムを試練や失敗を通して訓練し、彼の信仰を引き出して強めてくださいました。

主は愛する者を訓練されます。すべての訓練や懲らしめは、そのときは喜ばしいものではなく、かえって悲しく思われるものです。しかし、後になって、訓練された人々に平安な義の実を結ばせることを覚えましょう(ヘブル12:11)。

3.クリスチャンは霊的なイスラエル

主の約束は、単にアブラハムの個人的な祝福に留まるのではなく、アブラハムの信仰に倣う全ての信仰者に与えられているものです。アブラムの信仰の旅立ちから、イスラエルの民の救いの歴史が始まり、イスラエルの中からお生まれになった御子イエス・キリストによって、地の全ての民に神の救いが与えられました。

神に選ばれた民イスラエルとは、単に民族的集団だけを示すのではなく、信仰によって主の御言葉に聞き従って生きる者たち全てをいうのです(ガラテヤ3:7-10)。私たちは、信仰によって霊的なイスラエルとされました。

先に、主イエスの救いを受けた私たちにも、アブラハムやイスラエル民族に託された同じ使命、すなわち、祝福の基となるという働きを委ねられていることを覚えましょう。私たちの内に常に共にいてくださる主は、私たちを恵み豊かな命に生かして、それらを溢れ流れさせ、私たちの周囲の人々を祝福したいと願っておられます。

まとめ

アブラハムのように、主の御言葉に聞き従う者は、信仰によるアブラハムの子孫として、主の祝福を受ける者とされています。主の祝福とは、主イエスの十字架の贖いの御業によって成し遂げられた、罪の赦しと永遠の生命に入れられることです。私たちは、主イエスを信じる信仰によって霊的イスラエルとされ、主の祝福を人々に伝える使命を与えられています。私たちは、主にどこまでも従い、主の祝福を運ぶ器として、ますます用いていただきましょう。

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