『御子を信じる者は』
はじめに
今朝はバプテスマのヨハネの証言から、御子イエスを信じる者が与えられる救いについて見てまいります。
1.主の栄光だけを求める
主イエスは、ヨルダン川のほとりで大勢の人々に神の国について語り、悔い改めた者にバプテスマを授けていました。その数は、以前から同じ所でバプテスマを授けていたヨハネを大きく上回るものでした(ヨハネ3:26)。このことについて、ヨハネの弟子たちは、師であるヨハネに尋ねました。
ヨハネは、「人は、天から与えられるのでなければ、何も受けることはできません」(ヨハネ3:27)と、主イエスに多くの人々が集まるのなら、それは神の御心であると答えます。ヨハネは、主の栄光のために御言葉を宣べ伝え、主に仕えているのだから、主イエスの働きが大きく用いられていることは幸いであると語ったのです。
洗礼者ヨハネは、主イエスが来られることを証しする者として主に用いられ(マラキ3:1)、最後まで主の御言葉が伝えられ、御名が崇められることのために奉仕した人でした。それは、彼の「あの方は盛んになり私は衰えなければなりません」(ヨハネ3:30)との言葉に表されています。 私たちも、ヨハネのように、主の栄光だけが表されることを求めて、主から与えられた奉仕をさせていただきましょう。
2.御自身を現してくださった主
洗礼者ヨハネは、自分の働きを知っており、分をわきまえていました。彼は、自分の弟子たちに、イエスがおられる「天」と人間のいる「地」の区別を明確に語ります。自分が証し、宣べ伝えているのは、「上から来る方」のことで、このお方は、「すべてのものの上におられ」、「見たこと、また聞いたことをあかしされる」ということ。一方、自分については、「地に属し、地のことばを話す」者であるということを教えます。
私たち地上にある人間には、天におられる主のことを知ることはできません。「天が地よりも高いように、わたしの道は、あなたがたの道よりも高く、わたしの思いは、あなたがたの思いよりも高い。」(イザヤ55:9)とある通りです。しかし、主は、私たちが主の御心を知るようにと、昔は預言者たちを通していろいろな方法で語られ、御自身を示してくださいました。そして、終わりの時代にあっては、御子イエスによって、御自身を示してくださったのです(ヘブル1:1)。
主は、ご自分を無にして仕える者の姿をとり、自分を卑しくし、実に十字架の死にまでも従われました(ピリピ2:6-8)。主イエスがそこまでして、私たち罪人の所に来てくださったのは、父なる神が「世を愛された」からです(ヨハネ3:16)。御子をも惜しまずに私たちに与えてくださった父なる神の愛に応えて、主イエスを信じましょう。
3.聖霊を無限に与えてくださる主
「神がお遣わしになった方」(ヨハネ3:34)とは、主イエスのことです。主イエスは父なる神から「御霊を無限に与えられ」た方なので、主イエスだけが神の国を語ることができました。父なる神は、私たちが主を理解することができるようにと、主イエスの名によって私たちにも聖霊を無限に与えてくださいます。
聖霊は、信じる者たちといつまでも共にいてくださり、主イエスのことを教え、また、主イエスが話したすべてのことを思い起こさせてくださいます(ヨハネ14:26)。聖霊によって心の目が開かれる時、私たちは主イエスが「天から来られた方」であること、私たちが永遠の命を得るために、十字架で死んでくださり、三日目に復活されたことを理解することができます。主を知り、主に従い、御言葉を理解するために、聖霊を無限に与えてくださる主を呼び求めましょう。
まとめ
父なる神は、御子イエスを愛されて、すべての権威を与えられました。ですから、「御子を信じる者は永遠のいのちを持つが、御子に聞き従わない者は、いのちを見ることがなく、神の怒りがその上にとどまる」(ヨハネ3:36)と語られます。私たちは、この主に従い、主が御子を信じる者に与えてくださる永遠の命をいただこうではありませんか。