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『ピスガの頂に立つ』

説教:高橋正人 牧師
聖書箇所 申命記34:1-12

はじめに

申命記34章は、モーセ五書の終結です。今朝は、エジプトで奴隷であったイスラエル民族を率いて、約束の地へと導いた偉大な指導者モーセの最期と、彼が主と共に歩んだ生涯を見てまいります。

1.主のしもべモーセの生涯から学ぶ

主はモーセという指導者を立て、エジプトで奴隷であったイスラエル民族を、約束の「乳と蜜の流れる地」へと導きます。この出エジプトという出来事は、モーセの死をもって終わります。

モーセは、いかなる困難があろうとも、主の約束を信じ、生涯かけて主に従い通しました。彼が主の使命を果たすために最も重要視したことは、主なる神御自身と共にあることであり、主の言葉に従うことです。

このことは、私たちクリスチャンにも重要なことです。私たちも生涯をかけて主に従い、主の臨在を第一に求めていかなければなりません。「だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。」(マタイ6:33)また、「この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何か良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい」(ローマ12:2

2.モーセがピスガの頂で見たもの

モーセは主に命じられてピスガの頂に登ります(申命記3:27)。そこで、主が彼に見せたものは、これから入るカナンの地だけではなく、この地が主の約束の地であること(申命記34:4)、そして、イスラエルの将来のことでした。

モーセは主から、「あなたはそこへ渡って行くことはできない」(申命記34:4)といわれます。しかし、彼はピスガの頂からこれまでの主の導きと恵みを思い返し、自分の働きの終わりを受け止めると同時に、これからのイスラエルも主が導かれることを確信したのです。

私たちクリスチャンも、各々のピスガの頂から主の大きな御計画を見る必要があることを覚えましょう。私たちのピスガの頂とは、主イエスを信じる信仰の目をもって物事を見、判断することです。その頂に立つとき、主は見るべきものを見せてくださるだけでなく、主の大いなる御計画の中で、私たち一人一人を愛し、主の栄光のために用いてくださっていることを教えてくださいます。

3.モーセの死は、イスラエルの新たな歩みのはじまり

「主の命令によって、主のしもべモーセは、モアブの地のその所で死んだ。」(申命記34:5)とある通り、モーセは主の命令により死にました。しかし、「今日に至るまで、その墓を知った者はいない」(申命記34:6)と、彼の墓がどこにあるのかは誰も分かりません。

イスラエルの民が約束の地に入るためには、モーセの死が必要でした。これは、私たちの救いの完成のために、主イエスの十字架の死が必要であったことを想起させます。主は私たちが新しい歩みをするために、御自身をささげてくださいました。

イスラエル人は、三十日間、モーセのために泣き悲しみ、喪の期間が終わると、次の指導者として立てられたヌンの子ヨシュアに聞き従い(申命記34:8-9)、新しい地での主の御業に期待します。私たちも、主がなされる御業に期待して行きましょう。「見よ。わたしは新しい事をする。今、もうそれが起ころうとしている。あなたがたは、それを知らないのか。確かに、わたしは荒野に道を、荒地に川を設ける。」(イザヤ43:19

まとめ

モーセは主のしもべとして、生涯、主に忠実に仕えました。その忠実さは、約束の地を目前にしながら、その地に入ってはならないという主の言葉に従うことにも表されています。モーセがピスガの頂に立った時に見させていただいたことは、これからの主のイスラエルに対する御計画です。生涯の最期に、主の大きな御計画を見せて頂いたモーセに、悔いはなかったはずです。私たちも主によって、霊の視点に立たせていただきましょう。私たちに与えられているピスガの頂は、聖霊によって導かれる恵みの高嶺であることを覚えましょう。

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