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『「さらに、主に用いられるために」~少年サムエルから学ぶ~』

説教:北野耕一 中聖書神学校校長

はじめに

「父親になることは簡単だが、父親であることは容易ではない。」とよく言われます。だとすれば、「クリスチャンになることは簡単だが、クリスチャンであることは容易ではない。」とも言えますが,果たしてそうでしょうか。いいえ、私たちは,「クリスチャンになる」のではありません。選ばれた」(ヨハネ15:16) のです。「贖い出された」(ガラテヤ3:13)のです。主に選ばれた以上、選ばれた目的があります。それが「宣教」です。

少年サムエルはやがてイスラエル、ひいてはキリスト教会に比類のない貢献をしますが、神に用いられる基本的な要因がサムエル記に記されています。それを、1) 主の声に聴き入ること、2) 聴いたことを語ること、3) 語ったことが実現したこと、に集約できます。

1.主の声に聴き入ること

少年サムエルの弟子訓練は教育学的には,教師(祭司)エリとマンツーマンの理想的な環境の中で行われました。しかし霊的環境は劣悪でした。(Ⅰサムエル3:1-5Ⅰサムエル2:12,17) そういう中でサムエルの霊的訓練がなされました。祭司エリは、聞こえた神の声を悟ることができなかったサムエルに「聴く」心を与えました。サムエルの時代と違って我々には書かれた神の「ことば」、聖書が与えられています。ある人は、「語られる神の声は書かれた神の言葉に隠されている」と述べています。ですから私たちは主の、“Yes,” と、”No,”と、“Wait”を書かれた「ことば」のなかに聴き分けなければなりません。その方法が、詩篇1:2,3詩篇119:11詩篇130:5にそれぞれ述べられています。

聞くのと,聴く、のは全然違います。サムエルにとって「聞いていると」それはただの「声」でしたが、「聴き入る」と神の「ことば」になりました。そしてサムエルはそのことばに応答したのです。聴き入るためには静まること,待つことが大切です。

2.聴いたことを語ること

宣教活動は「聴くこと」から始まります。預言者がそうでした。目で読む聖書は文字にすぎませんが,聴き入る心で読む聖書は「ことば」になります。静まって、聴いて、そして聴いたことを語ると、必ずそこに御霊とみ力の現れがあるはずです。

しかし聴いたことを語るのは決して容易ではありません。サムエルが聴いた内容はとても重いものでした。(Ⅰサムエル3:15)私たちも時には語りたくないことを語らねばならない時があります。一方主がサムエルに語られたことは決して良い知らせではないことを祭司エリは察知しています。そしてメンターであるエリはサムエルに神のみ告げを余さず知らせるようにと弟子のサムエルに命令しました。ここに厳しくも美しい師弟関係が浮き彫りにされています。それは、主を畏れ、サムエルを厳しく訓練するエリ、その薫陶を従順に受けるサムエル、と同時に主の懲戒を素直に受け入れるエリとの関係です。未来の預言者を育てた老師エリは立派でした。そして預言者テストに合格できたサムエルも見事でした。

3.語ったことが実現したこと

「彼(サムエル)のことばを一つも地におとされなかった」(Ⅰサムエル3:19) ほどの偉大な、そして著名な預言者になり得たのは、彼の「ことば」は神から聴いたことばであったからです。神の言葉は必ず成就するのです。「この人は敬われている人です。この人の言うことはみな、必ず実現します。」(Ⅰサムエル9:6

まとめ

少年サムエルから宣教の基本的な心得を学びました。1) 主の声に聴き入ること、2) 聴いたことを語ることです。たったそれだけです。サムエルに倣って、静まり、聴き入り、そして語るならば、必ず御霊の「出来事」が起こります。

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