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『神の住まわれる所』

説教:高橋正人 牧師
聖書箇所 エペソ2:19-22

主イエスを信じた者の内に、聖霊は住んでくださいます(Ⅰコリント6:19)。今朝はエペソ書から、私たちが聖なる宮として建てあげられていくことを見てまいります。

Ⅰ.神の宮が建てられる場所

最初の神殿は、主の命に従ったダビデ王の子ソロモンにより、エルサレムの「モリヤの山」に建てられました(Ⅱ歴代誌3:1)。モリヤの山は、信仰の父と呼ばれるアブラハムが、主の御言葉に従うか否かを試みられた場所です。彼は、その一人子であるイサクを捧げなさいという主の命令に従う信仰を示しました。これは、彼が「神には人を死者の中からよみがえらせることもできる」(ヘブル11:19)という「復活の信仰」に生きていたからです。神の宮は、アブラハムのようにどこまでも主を信じ、御言葉に従うところに建てられます。

主イエスは、弟子のペテロの「あなたは、生ける神の御子キリストです」(マタイ16:16)との信仰告白に対して、「わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます」(マタイ16:18)と約束されました。教会は、主イエスを信じる信仰の上に建てられます。また、信じた者の内に御霊が宿り主の宮としてくださるのです(Ⅰコリント6:19)。教会を贖うために御自身の命という代価を払ってくださった主イエスの十字架の贖いに感謝し、主への信仰と御言葉に従うことによって主の宮を建て上げてまいりましょう。

Ⅱ.神の家族

主が住まわれる神殿とは、イエス・キリストを救い主として信じ救われたキリスト者のことです(Ⅰペテロ2:9)。私たちは、主イエスの十字架の贖いによって、古い罪の自分に死んで、新しく主の命に生きる者とされました。主イエスを信じる者は、神の御国、天国の市民とされ、「聖徒たちと同じ国民であり、神の家族なのです」(エペソ2:19)。

主の家族とされた私たちは、もはや他国人でも寄留者ではなく、霊的王国の共同体を構成する一人とさせたいただいたのです。地上での家族が、固い絆で結ばれている以上に、主の家族は主イエスによって固く結ばれており、家族が互いに祈り、励まし、愛し合って成長していくように、主にある家族も成長して行くのです。特に、私たちは愛において成長しなければなりません。私たちは、Ⅰコリント13:4-7にある愛のざまざまな側面について、実を結ばせていただきましょう。

Ⅲ.完成を目指して前進する教会

教会は、主イエスをかしらとするキリストの体であり、私たちはキリストの体の器官として生きています。「聖霊の宮」(Ⅰコリント6:19)である教会には、「聖さ」が求められます。また、「愛」が求められます。教会は常に、神と人への愛に燃やされていなければなりません。さらに教会は、「成長」(エペソ2:21)するように、主が御計画してくださっています。私たちは完成した建物ではなく、完成を目指して成長する建築中の建物です。

教会が成長するのは、キリストの命があるからです。教会を訪れる人々は、私たちキリスト者の交わりの内にキリストの命を見い出し、主の愛と恵みを知るに至るのです。教会が「神の住まわれる所」として、これまで導かれ守られたことを感謝しましょう。そして、さらに「キリストの花嫁」としての完成を目指して祈り、神の家の「生ける土台」として信仰生活を続けて行きましょう。

結 び

主は、罪の中に死んでいた私たちを、主イエスによって贖いだして新しい命に生かしてくださいました。イエス・キリストという礎石の上に、使徒や預言者たちを土台として、私たちは主の恵みを受けて成長していくのです。私たち一人一人は、教会を構成する枝枝であり、神の宮です。多くの人が、ここは「神の住まわれる所」であると知ることができまるように、さらに主イエスにあって信仰生活に励んでまいりましょう。主の家、神殿としての教会が求められていることは、「キリストにあって」(エペソ2:22)ということに尽きるのです。

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