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『神の御業を知る幸い』

説教:高橋正人 牧師
聖書箇所 マタイ13:44-52

今朝の箇所は、主イエスが、天の御国の奥義について、三つの譬え話をもって話された所です。

Ⅰ.「畑に隠された宝」と「素晴らしい真珠」の譬え

  • 主イエスが語られた天の御国の最初の譬えは、「畑に隠された宝」で、第二は「素晴らしい真珠」です。隠された宝は、人の目には見えません。しかし、その宝を見出した人は、自分の持ち物を全部売り払ってその畑を買うほどになります。同様に、すばらしい値うちの真珠を探し求めている者も、それを見つけたなら、持ち物を全部売り払ってでもそれを買います。私たちも、最高の宝を探し当てたなら、知恵と力の限りを尽くしてそれを得ようとするでしょう。あなたにとって真の宝、全てを売り払ってでも手に入れなければならないものとは何でしょうか。
  • 隠された宝や素晴らしい真珠は、容易に得ることのできないものです。しかし私たちは、信仰によって主イエスという宝を得、永遠の命という恵みに与りました。主イエスこそが究極的な宝であり、この宝を知った者は、主の愛の支配の中にあることを喜ぶ幸いな人生を歩ませていただくことができるのです。今朝、この主イエスという永遠の宝をいただいたことを感謝し、主の偉大なる栄光の業のために私たちの全てを捧げて従う歩みをさせていただきましょう。「私たちは、この宝を、土の器の中に入れているのです。」(Ⅱコリント4:7

Ⅱ.「海におろした地引き網」の譬え

  • 第三番目の「海におろした地引き網」の譬えは、主イエスが再臨されて全てを完成される時の様子を示します。地引き網が海中に隠れているように、現在は隠れているように見える天の御国も、最後には全ての人々の目に明らかになります。網の中には、良い魚も悪い魚も入りますが、網が一杯になると選別されて悪い魚は取り出されて捨てられます。今は全ての人が主イエスの救いを受けるようにと招かれています。この救いの時を無駄にしてはなりません。
  • 最後の審判の時、キリストの救いに与っている者たちは、主の民とされたことに相応しく歩んでいたか否かが問われます。主の御心は、主の救いを受けた私たちが、主の再び来られる日まで、神の子として信仰生活を全うし、主にある兄弟姉妹と共に互いに愛し合い、仕えあって生きていくことです(ヨハネ15:12,17)。互いに心へりくだって、主の前に進みましょう(ピリピ2:3)。

Ⅲ.天の御国のことを学んだ者

  • 主イエスは、これらの譬えを理解した者を「天の御国の弟子となった学者」と呼ばれました。私たちも御霊によって、天の御国の宝を教えていただいた者です。主人が自分の倉から新しい物でも古い物でも自由に取り出すように(マタイ13:52)、私たちはみ言葉を通して主の恵みと祝福を知ると同時に、罪や弱さから自由にされ、現実の問題や困難に対処する知恵や力をいただいたのです。
  • 私たちキリスト者が教会に生きるのは、天国学を学んで学者とされていることと同じことです。神の御国について知っている私たちは、御言葉に従って生きる自由な生き方を身につけるように変えられた者です。いかなる問題や困難に対しても、「あらゆる境遇に対処する秘訣を心得ています」(ピリピ4:12)と使徒パウロが語ったように、み言葉による知恵と力によって勝利できることに感謝しましょう。
  • 結 び

    私たちは、罪のために、天の御国を知るどころか、霊的に死んだ者となっていました。しかし、私たちの罪の贖いのために、ひとり子さえも惜しまずに十字架にかけられた父なる神は、私たちを完全な救いへと導いてくださり、霊の目を開いてくださいました。神は、私たちが信仰の目をもって、救い主イエス・キリストを見出せるようにしてくださったのです。主イエスこそ、隠されていて見えない宝です。主はその宝を私たちに教えて与えてくださいました。私たちは、主の愛と力の支配のもとに置かれていることを感謝し、主を知ることを切に追い求めてまいりましょう(ホセア6:3)。

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