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『神の時』

説教:高橋正人 牧師
聖書箇所 伝道者3:1-15

伝道者の書第3章は、この書の中で最も知られている箇所と言って良いでしょう。今朝は、この「時」について、ご一緒に見てまいります。

Ⅰ.神のなさることは、すべて時にかなって美しい

  • 伝道者は、「何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある」(伝道者3:1)と語ります。これは、一見すると宿命論的、運命論的な時間のとらえ方とも思えます。しかし、注意深く読むならば、ここで言われている「時」とは、神が主権をもって支配されているものであることが分かります。「神のなさることは、すべて時にかなって美しい」(伝道者3:11)とあるように、伝道者は全ての物事の背後に神の御手を見ているのです。
  • 神は全てのことを「時」や「時期」を定めて行われているので、そのなさることは「美しい」のです。神は、私たちに対しても、「時」を用意してくださっています。「人は、神が行なわれるみわざを、初めから終わりまで見きわめることができない」(伝道者3:11)とあるように、私たちには神の働きを全て理解することはできません。しかし、私たちは、神が常に最善の時に最善のことをなされることを信仰によって知っています。この神を信頼して歩むときに、私たちもまた「神のなさることは、すべて時にかなって美しい」ということができるのです。

Ⅱ.歴史を導かれる神

  • 神は歴史を導かれ、歴史の中で働かれ、歴史を完成されるお方です。永遠の神の御業は、イスラエルの歴史の中で、「時」にかなってなされました。神は、モーセを選んで、エジプトから民を救い出すために430年という時を定めておられました(出エジプト12:40)。ダビデは少年の時に王としての油注ぎを預言者サムエルから受けましたが(Ⅰサムエル16:13)、王となるために、時が必要でした(Ⅱサムエル5:4)。また、預言者たちは忠実に、また命をかけて神の言葉を叫びましたが、イスラエルはバビロン捕囚という時を迎えなければなりませんでした。しかし、これら苦難の時はイスラエルが神の前に悔い改めて、神に立ちかえるために必要な時でした。
  • 人類史上最大の「時」は、御子が誕生し、人の罪の贖いのために十字架で死なれ、三日目に死人の中からよみがえられたことです。私たちキリスト者は、その復活の事実の証人です。さらに、私たちは、主イエスが再びこの世に来てくださる大いなる贖いの時を待ち望んでいます。歴史を導き、私たちに計画を持って導いてくださる神を信頼してまいりましょう。「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。」(ローマ8:28

結 び

私たちは、神の時を待つことを嫌ったり、焦ったりして、自らの手で時を定めようとしがちです。しかし、時を支配し動かしておられるのは神です。神が定められた時は、人間のいかなる知恵や力も及びません。そのことによって、私たちは神を畏れなければなりません。伝道者は、彼の人生で起こった事柄は、自分が考え予定した通りではなく、神が背後で働かれていたということを知っていました。私たちの時は主の御手の内にあることをおぼえ、全能者である神に信頼して歩み続けましょう。

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