礼拝説教

礼拝メッセージ

ホーム > 礼拝説教:2011年礼拝メッセージ

『神の奥義、キリスト』

説教:高橋正人 牧師

コロサイ人へ手紙の主題は、教会はキリストのからだであり、そのかしらは主イエスであるということです。神は、御自身の「罪人を救う」という御計画を、御子イエスによって現わされました。今朝は、神の奥義であるイエス・キリストについて、ご一緒に見てまいります。

Ⅰ.全ての問題や困難の解決は、主イエスを知ることから始まる

  • コロサイ教会に異端が入り込みました。パウロは、最初に正しい教えである「すでに聞いた福音の望み」( コロサイ1:23)について述べてから、異端的な教えの誤りを指摘します。 主イエスの福音から目を逸らせるような教えは、いかにもっともらしく見えたとしても、所詮「むなしい、だましごとの哲学」( コロサイ2:8)でしかないのです。
  • パウロはそこで、コロサイ教会のクリスチャンたちに、主イエスを知ることを熱心に勧めます。「このキリストのうちに、知恵と知識との宝がすべて隠されているのです」( コロサイ2:3)とある通りに、主イエスを知ることが異端的な教えに勝利するだけではなく、全ての解決となることを信じましょう。ある意味、主イエスを知ることがクリスチャン生活の全ての全てであると言っても良いでしょう。

Ⅱ.キリストにあって歩みなさい

  • コロサイの教会は、異端が入ってきても、神の教会のしるしである秩序と、主イエスに対する堅い信仰が保たれていました(コロサイ2:5)。 しかし、パウロは油断することなく「主キリスト・イエスを受け入れたのですから、彼にあって歩みなさい」(コロサイ2:6)と勧めます。
  • 主イエスにあって歩むとは、「キリストの中に根ざし、また建てられ、また、教えられたとおり信仰を堅くし、あふれるばかり感謝」(コロサイ2:7)する歩みに他なりません。
  • 私たちクリスチャンは、主イエスの十字架によって罪赦され、主にあって歩む者とされました。私たちは主の救いの恵みに対する応答として、日々主イエスと共に歩む者と変えられました。しかし、まず、主イエスの方が最初に私たちに近づき、私たちと共に歩んでくださっていることを感謝しましょう。

Ⅲ.キリストのうちにこそ、神の満ち満ちた性質が形をとって宿っている

  • 異端的な教えは、現代においては、コロサイ教会時代とは違った形で現れています。しかし、異端的な教えに共通することは、いつの時代でも同じです。それは、キリストの神性や救いの完全性を否定したり、御言葉の勝手な解釈や教会の秩序を乱すという点です。しかし、キリストこそ神の奥義なのです。「キリストのうちにこそ、神の満ち満ちたご性質が形をとって宿っています。」(コロサイ2:10
  • 私たちクリスチャンは、主イエスにあって完全に贖われ、全てのことに満ち満ちた者とされたのです。主イエスにあって歩む時、私たちは「愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制」(ガラテヤ5:22-23)という御霊の実、すなわち、主イエスの御性質を結び、私たちを通して、主はその御業(Ⅰコリント12章)を現してくださるのです。

結 び

パウロは、コロサイ教会に対して、神の奥義である主イエスを正しく知るようにと勧めています。主イエスは、神の知恵と知識の宝庫であり、主イエス御自身が全ての問題や困難への答えです。この方に根ざし、御言葉と御霊に導かれて歩み続ける時、豊かな実を結ばせていただけるのです(ヨハネ15:5)。主イエスを知ることが、私たちの信仰生活の基盤です。 「私たちは、知ろう。主を知ることを切に追い求めよう」(ホセア6:3)ではありませんか。

このページのトップへ

日本アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団

神召キリスト教会

Copyright (C) Shinsho Church. All Rights Reserved.
〒114-0023 東京都北区滝野川 6-64-9
最寄り駅:JR板橋駅東口から3分/都営三田線新板橋駅から6分