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『神に感謝する者』

説教:高橋正人 牧師
聖書箇所 ルカ17:11-19

今朝の聖書箇所には、十人のツァラアトに冒された人たちが、主イエスに憐れみを願って、きよくされたことが記されています。しかし、主イエスに癒やされた後、感謝するために帰って来たのは一人でした。このサマリヤ人の姿に、真に主イエスを信じて救われた者の態度を見ることができます。

Ⅰ.行きなさい。そして祭司に見せなさい。

  • 主イエスに、ツァラアトからの癒やしを願った人々がいました(ルカ17:12-13)。主イエスは、直ちに彼らに声をかけて癒やされたのではなく、「行きなさい。そして自分を祭司に見せなさい」(ルカ17:14)とだけ言われました。彼らは、主イエスの言葉を信じて従い、祭司のところへ出かけた結果、途中で癒やされました。
  • これら十人の人たちは、まだ実現していない癒やしをすでに見ているように、単純に主の言葉に従いました。彼らの状況や状態に関わらず、神の言葉には力があり、十人の者が全員癒やされるという祝福に与ったのです。「わたしの口から出るわたしのことばも、むなしく、わたしのところに帰っては来ない。必ず、わたしの望む事を成し遂げ、わたしの言い送った事を成功させる。」(イザヤ55:11)私たちは、神のみ言葉の約束に固く立ちましょう。
  • 今は、パウロが述べているように、「人々が健全な教えに耳を貸そうとせず、自分につごうの良いことを言ってもらうために、気ままな願いをもって、次々に教師たちを自分たちのために寄せ集め」(Ⅱテモテ4:3)ている時代と言って良いでしょう。私たちは聖書の言葉、神の真理の言葉に固く立とうではありませんか。また、真理の言葉を愛をもって真っ直ぐに伝えようではありませんか。

Ⅱ.あなたの信仰が、あなたを直したのです。

  • 十人全員が道の半ばで癒されたことに気が付きましたが、引き返してきて主イエスの足もとにひれ伏したのは、当時ユダヤ人にとって侮蔑の対象であったサマリヤ人だけでした。このサマリヤ人は「あなたの信仰が、あなたを直したのです。」(ルカ17:19)と主イエスによって宣言されました。
  • このサマリヤ人の「信仰」とは、癒やされたことを知った時、自分の意思で主イエスのもとに帰ったことです。彼は、自分の身に起こった癒やしの業は、神によることであると確信したのです。この人にとっての「救い」は、病がいやされたことだけではなく、心から神への感謝と賛美に生きる者と変えられたことでした。
  • ツァラアトに冒されていたサマリヤ人が主イエスによって癒やされ、神を礼拝し、神と共に歩む新しい人生を与えられたように、私たちは罪によって死んでいた者でしたが、主イエス・キリストの十字架の贖いによって罪赦されキリストにあって生きる者とされました(コロサイ2:13)。主イエスは私たちにも「立ちあがって、行きなさい」と言葉をかけてくださっています。

Ⅲ.主に感謝と賛美を捧げよ。

  • 十人にとって、癒やしを体験することは、奇跡であり、得がたい恵みだったと考えられます。しかし、主イエスにとって得がたかったのは、神を賛美するために引き返して来た十人中の一人でした。主は、神を礼拝する民をどれほど求めておられることでしょう。主イエスの救いの恵みを受けたなら、その恵みへの感謝を忘れてはならないことを教えられます。
  • 私たちも常に主イエスの救いの御業がいかに偉大なことであり、奇跡であるかということを覚えて、ますます主を中心とした歩みをし、主に感謝と賛美を捧げる日々を送って行きましょう。サマリヤ人は「大声で神をほめたたえながら引き返して来て、イエスの足もとにひれ伏して感謝した」(ルカ17:15-16)とあります。常に主のもとに戻り、主に感謝の賛美を捧げる歩みはなんと幸いなことでしょうか!

結 び

十人の者が等しく主イエスの言葉によって癒やされました。しかし、キリストの癒やしを体験して、その応答として神を賛美するために帰ってきたのは一人だけでした。私たちは神に対する忘恩の民となってはなりません。キリストの十字架による救いほど大きな恵みはありません。主に贖われた者として、私たちはつねに主のみもとに立ち返り、神の恵みに感謝し、神に喜ばれる歩みをしようではありませんか(詩篇103:1-2)。

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