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『神に立ち返るなら』

説教:高橋正人 牧師

ネヘミヤは神に導かれて、エルサレムの城壁の再建を行うと同時に、イスラエルの民の信仰を復興するという霊的なリーダーとしての役割を果たしました。今朝は、ネヘミヤの姿から、神に立ち返ることの恵みを共に見てまいりましょう。

Ⅰ.み言葉に生きていたネヘミヤ

  • ネヘミヤは、ユダから来た数人の者たちから、エルサレムの窮状を聞きました(ネヘミヤ1:3)。ネヘミヤは普段から祖国にいる同胞に強い関心を持っていたことがわかります(ネヘミヤ1:2)。彼は、ペルシャという遠い国にあっても、王の献酌官という恵まれた立場にいようとも、同胞のことは一日たりとも忘れたことはなかったのです。
  • ネヘミヤがこのような深い関心を持ち得たのは、神のみ言葉に立っていたからです。すなわち、彼は、み言葉の約束とイスラエルの現状があまりにも違っていることに心を激しく動かされたのです(ネヘミヤ1:8-9)。ネヘミヤには信仰による霊の目が与えられていました。私たちも、み言葉の光に照らされるときに、私たちを取り巻く様々な状況を霊の目をもって見ることができます。「みことばの戸が開くと、光が差し込み、わきまえのない者に悟りを与えます。」(詩篇119:130) 。

Ⅱ.神の御業は、神への悔い改めから始まる

  • ネヘミヤは、神がご自身の御業を成し遂げられるために備えられた人です。神は、ご自身のご計画を始めるために、また推し進めて完成させるために、常に人を備えられます。「主はその御目をもって、あまねく全地を見渡し、その心がご自分と全く一つになっている人々に御力をあらわしてくださるのです。」(Ⅱ歴代誌16:9
  • ネヘミヤが神に献げた祈りは、遠く離れているイスラエル人や先祖たちの罪を、自分の罪として告白したものでした(ネヘミヤ1:6-7)。神に受け入れられる祈りは、罪の告白から始まります。 「もし、私たちが自分の罪を言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。」(Ⅰヨハネ1:9
  • ネヘミヤの祈りは、罪を告白するうちに、神はイスラエルの民を見捨てられてはいないという神への信頼を表すものとなって行きます。彼は、神がモーセと結んだ約束を思い出し、それに固くとりすがって良いという思いへと導かれています(ネヘミヤ1:10)。神はご自身の民をその不従順のゆえに打たれました。しかし、神はご自身の民を見捨てられたのではありません。神の約束のみ言葉によって神に信頼して神に立ち返るなら、神によってエルサレムの再建が始まるのです。

結 び

神は不信仰ゆえに、ご自身の民イスラエルを厳しく裁かれました。しかし、神のご計画はそこで終わったのではありません。神はご自身の約束に真実であり、ご自身の御業を完成させるために、常に働き人を備えられます。ネヘミヤは、エルサレムの再建にあたり、まず神の前に祈り悔い改めました。私たちも全てのことにおいて、まず神の前に祈り、神の御旨を教えていただきましょう。日々み言葉の光に照らされ、聖霊によって悔い改めるべき事を示していただきましょう。真実な悔い改めは、必ず、神からの赦しと豊かな祝福を私たちの周囲にもたらします。

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