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『希望』

説教:田村敬子 伝道師

日本観測史上最大と言われる大震災、大津波から今日でちょうど1ヶ月が経とうとしている。毎日テレビから流れる目を覆いたくなるような惨状、加えて目に見えない『放射能』という恐怖に誰もが少なからず先の見えない不安を覚えているのではないだろうか。

このぶつけようのない悲しみと怒りは、私たちがどんなに考えても説明がつかない。このようなとき私たちは心のどこかで『天罰』とか『神の怒り』と結びつけて考えてしまいがちだ。

しかし、天地を造り私たちをも形づくり愛してくださる主は愛である。 今日、エレミヤ書29章11節を中心に私たちの神がどのように言っておられるのか、このような時だからこそ私たちはもう一度確認していく必要がある。

1 .神はあなたのために計画を持っておられる

今日の聖書の箇所は、歴史的な神の約束のことばである。イスラエルの民は、神に逆らい偶像を神として拝み続けたため、ついにバビロンに補囚の民として引いて行かれることになった。エルサレムという地に特別な思いを持っていた彼らにとって、他国に奴隷として連れて行かれることほど辛いことはなかったはずだ。しかし、神は彼らを赦し愛し、70年後には解放する、と約束してくださった。 同じ苦しみや悲しみであったとしても、はるか遠くに光が見えるのであれば、人はその光を希望に立ち上がることが出来る。

私たちの中にも、真っ暗な絶望の中にいる方がおられるかもしれない。しかし、覚えていただきたい。神はあなたの明日、1年後、そして10年後、あたたの歩む全ての日々に『あなたのための計画』を持っておられるのだ。決してあなたが偶然にここにいるのではない、意味も無く困難な道を通っているのでもない。 あなたを愛し導く主は、あなたのためにオリジナルの計画を持っておられる。

2.神の計画はあなたに平安を与える

エレミヤの預言は決して人々の耳に心地よい言葉ではなかった。一方、偽預言者ハナヌヤの預言はうわべだけの平安を人々に語るものであった。 しかし、捕囚の民に全能の神が「語れ」と言われた主の言葉は決して中途半端な甘い言葉ではなかった。エレミヤは捕囚の民イスラエルに「70年後」の主の計画と主の約束を語ったのである。 私たち人間の心情は「今すぐ」楽になりたい、一時でも早く暗闇から抜け出したいと思う。しかし、捕囚の日々は暗く絶望の日々であってはいけない。むしろ、神に与えられた70年という時間、神を真剣に「呼び求め」「祈り」、そして「心を尽くして唯一の神を探し求める」日々でなくてはならない。それこそが神の恵みの時なのだという事を忘れてはいけない。

私たちが、一夜漬けで試験に臨んだとしても、せいぜい2~3時間で忘れてしまうのが関の山である。しかし、こつこつと毎日積み上げた記憶や体験は簡単に忘れるものではない。私たちもまた、日々の生活の中で「心を尽くして」神に近づき「主が共にいてくださる」という揺るがない平安を受け取ろう。

3.神の計画はあなたに将来と希望を与える

神の計画は、あなたを悲しませるためでも懲らしめるためでもない。将来と希望を与えるために、あなただけのために立ててくださっている計画があるということを覚えて欲しい。

私のための計画と、あなたのための計画は別のものかもしれない。しかし、それは神がそれぞれを特別な存在として形づくってくださっていることを知るならば、当然とも言えることなのではないだろうか。それぞれの計画は違っているかもしれない。しかし、神が準備してくださっている計画はわざわいではなく将来と希望を私たちに保障してくれる。 捕囚の民としての70年間は、神の計画の実現と預言が必ず成就することを待望して生活すべき大切な時なのだ。神の民として家を建て、畑を耕し、子どもを育てるという日常を忠実に勤勉に生活することであり、信仰を持ち悔い改めと希望を待ち望む生活である。

私たちは、目の前の手軽な希望にすがるのではなく、神の与えてくださる決して途絶えることのない将来と決して消えることのない希望を持ち歩み続けよう。

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