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『神の心に生きる』

説教:高橋正人 牧師
聖書箇所 ピリピ2:1-11

はじめに

ピリピの教会は、福音宣教の働きに従事する使徒パウロを支え、福音が益々前進して行くようにと祈り、献げた教会です。しかし、このような教会の中にも内部に、ある種の分裂があったのです。それでパウロは、教会が一つになって、益々主の栄光を現すようにと、同労者・戦友のような愛とあわれみをもって勧めています。

Ⅰ.一致の勧め

  • ピリピの教会は、福音宣教について、パウロを支援することについて、とても熱心でした。しかし、一人ひとりの熱意が強くても、そこに一致がなければ、やがて力は分散し、何の成果も見ることができなくなります。
  • パウロは「もしキリストにあって励ましがあり、愛の慰めがあり、御霊の交わりがあり、愛情とあわれみがあるなら」(2:1)と、教会が一つになるために必要なことを四つ述べています。また、「何事でも自己中心や虚栄からすることなく、へりくだって、互いに人を自分よりもすぐれた者と思いなさい。」(2:3)とも勧めています。
  • 私たちクリスチャンは、一人ひとりが主イエスの十字架の贖いによって神の子とされたものです。主イエスは、私たちの隣人のためにも十字架にかかってくださったことを覚えて、受け入れあい一致してまいりましょう。一致のあるところに、主はご自身の豊かな命を流してくださるからです。

Ⅱ.キリストに倣う

  • 教会が一致を保つ秘訣は、主イエスに倣うことです。パウロは、教会が一つになるために、主イエスを模範とするように励まします。ピリピ2:5は、文語訳聖書では「汝らキリスト・イエスの心を心とせよ」となっています。主イエスを信じる信仰のゆえに牢獄にあったパウロが、主に感謝をささげ喜ぶことができたのは、ピリピ教会の人々がキリストの心を心としていたからです。
  • 主イエスは神の御子ですが、罪人である私たちを救うために、自ら私たちと同じくなられ、父なる神に従われました(ピリピ2:6-8)。主イエスは、ご自分が神であるというあり方に全くこだわらなかったのです。私たちが、小さなことにこだわって一致できないとしたら、 それは愚かなことです。
  • もし主イエスが神であるあり方にこだわっていたなら、私たちの救いはなかったのです。私たちは主イエスのへりくだりと従順に倣うものとなりましょう。私たちが主イエスのへりくだった心をもって、お互いに仕えあう時、教会の一致が保たれるのです。

結 論

  • 主イエスは、神であるにもかかわらず、この地上に来てくださって生活され、最後には十字架で死んでくださいました。父なる神はひとり子さえおしまずに、私たち人間の罪の贖いのために犠牲を払われました。それは、私たちが主イエスを信じて永遠の命を得るためです。
  • 私たちがへりくだるとき、キリストの御名が高く上げられます。「すべての口が、『イエス・キリストは主である。』と告白して、父なる神がほめたたえられるためです。」(ピリピ2:11)主イエスの心を心とする群れ、それが教会です。私たちは、日々、主イエスに倣う者となりましょう。「神は、高ぶる者を退け、へりくだる者に恵みをお授けになる。」(ヤコブ4:6
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