礼拝説教

礼拝メッセージ

ホーム > 礼拝説教:2011年礼拝メッセージ

『気前よい神』

説教:高橋正人 牧師
聖書箇所 マタイ20:1-16

はじめに

主イエスは、「天の御国は、自分のぶどう園で働く労務者を雇いに朝早く出かけた主人のようなものです」(マタイ20:1)と言われ、この譬え話を通して、神の御国の奥義を教えて下さいました。

Ⅰ.神の招きに応えよう

  • ぶどう園の主人は、一日一デナリ(当時の一日分の労働賃金)の約束で働き人を集め、自分のぶどう園に送ります。主人は、夜明け、午前9時頃、正午、午後3時、午後5時と労務者を雇いました。
  • 労務者たちは、ぶどう園の主人に呼ばれたおかげで、ぶどう園での働き場を得ることができました。もし主人が声をかけなければ、一日何もせずに無為に時を過ごしていたことでしょう。
  • 私たちも、この労務者たちのように、以前は罪と滅びの中を目的もなく歩んでいた者でしたが、神が呼んで下ったために、神の使命に生きるものとされました(エペソ2:1-10)
  • 神は常に、私たちを神の救いに招き入れようと、一人ひとりを呼んでくださっています。神の呼びかけに応えて、主イエスを救い主として信じ受け入れることほど幸いな道はありません。また、すでに主に呼ばれた私たちも、御霊に聞き従う幼子のような心を常に持たせていただきましょう。「きょう、もし御声を聞くならば、あなたがたの心をかたくなにしてはならない。」(ヘブル4:7

Ⅱ.救いは神様からの賜物

  • 賃金が支払われる段になって、最後に雇われた人々から始まって、全員に同じ労賃1デナリが支払われました。主人は、「この最後の人にも、あなたと同じだけ上げたいのです」(マタイ20:14)と言ったのです。
  • 最初にぶどう園に行って働いた者たちから文句が出たのは、ある意味当然でしょう。この世の価値基準で考えるなら、この主人の行為は納得のいくことではありません。
  • しかし、主イエスはここで、主人の分け隔てのない気前のよさを通して、人間には理解の及ばない父なる神の気前のよさ、すなわち、神の愛と憐れみのはかりがたさを示しています。
  • 神が私たちに与えてくださる救いは、人間の側の働きの結果によるものではなく、神の愛と憐れみによる一方的な「恵み」なのです(エペソ2:8)。

結 論

「神の気前のよさ」によって一方的に救われたものとして、私たちは神の大きな憐れみの心を御霊によって知らなければなりません。日々に、私たちの心をもっと広くしていただきましょう。私たちは神に救われたことを喜び、父なる神の心を知る神の子どもとして、御国のため働いて行こうではありませんか。「神に選ばれた者、聖なる、愛されている者として、あなたがたは深い同情心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着けなさい。」(コロサイ3:12)「あなたがたの寛容な心を、すべての人に知らせなさい。主は近いのです。」(ピリピ4:5

このページのトップへ

日本アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団

神召キリスト教会

Copyright (C) Shinsho Church. All Rights Reserved.
〒114-0023 東京都北区滝野川 6-64-9
最寄り駅:JR板橋駅東口から3分/都営三田線新板橋駅から6分