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『エベン・エゼル-助けの石』

説教:高橋正人 牧師

はじめに

今朝の聖書箇所は、本来4章から始まる一連の出来事、すなわち、「エベン・エゼル」という地名の由来について記した記事の結びにあたる部分です。預言者サムエルの時代、主の民の間にあった出来事を通し、その中に示されている主の恵みと教えを、ご一緒に見てまいりましょう。

Ⅰ.イスラエルが敗北から学んだこと

  • イスラエルはペリシテ人を迎え撃つために戦いましたが、大敗し、四千人もの人々が野で打たれました。民の長老たちはシロから「主の契約の箱」(Ⅰサムエル4:3-4)を持ってきて、手っ取り早く、しかも信仰的に思える方法で勝利しようとしました。
  • 結果、再度イスラエルは敗北します。主の箱の登場で一時的に兵士たちの士気が高揚して奮い立っただけのことで、彼らは、実際には主に信頼せず、主のみ言葉には従ってはいなかったのです。
  • 敗北という結果を通して、長老たちは問題を主のもとに持ち出しましたが、み言葉に耳を傾けなかったことに対する悔い改めがなかったのです。私たちは心から主に聞き従わなければなりません。「主よ。主よ。」と言いながら、いつの間にか心は主から離れ、み言葉を自分の都合の良いように持ち出すことのないよう、心から主に信頼しましょう(申命記6:5)。

Ⅱ.主は砕かれた心を求めておられる

  • イスラエルは、二度の大敗の後、主の契約の箱までも奪われてしまいました。このときから約20年間、イスラエルはペリシテ人の支配を受けることになります。主はこの期間に、預言者サムエルを通してみ言葉を語り、その御旨を示されます。また、この期間はイスラエルの傲慢が砕かれ、へりくだって主を慕い求めるようになるまでに必要な年月でした。
  • 主が私たちに求められるのは、へりくだった、砕けた心です(詩篇34:18)。しばしば苦難や試練を通して、主は私たちの心を取り扱われます。キリストご自身が柔和で心のへりくだった方であることを覚えましょう(マタイ11:29)。

Ⅲ.主は主を慕い求めるものに「助けの石」となられる

  • 主の手による災いを受けたペリシテ人は、主の箱を退けました(Ⅰサムエル5:1-126:1-18)。7章に至って、主の箱はアビナダブの家に運ばれ、聖別した彼の子エルアザルが主の箱を守ります(Ⅰサムエル7:1)。エベン・エゼルでの敗北(4章)に始まったイスラエルの信仰的失敗は、この主の箱を守るということから回復に向かいま す。
  • 約20年もの間、主の箱はアミナダブ家に安置されたままになりますが、やがてイスラエルの人々の心に霊的な飢え渇きが起こされ、主を慕い求めて集会が行われます。それをペリシテ人は自分たちへの挑発行為と受けとめ、再びイスラエルに攻め上って来ます。
  • しかし、今回のイスラエルは預言者サムエルの指導の下、主に頼り、断食と悔い改めによって霊的に整えられます。主に全焼のいけにえがささげられました。民の中には、人間的な大歓声ではなく、主への叫びがありました。
  • 主はそれに応え、主ご自身の方法をもって、イスラエルに大勝利を与えられたのです(Ⅰサムエル7:10)。み言葉に聞き従い、へりくだって主に寄り頼んだイスラエルは、主の箱が奪われ主の栄光が去ったと思われた長い空白の後に、新たな信仰告白「ここまで主が私たちを助けてくださった。」(Ⅰサムエル7:12)にまで導かれたのです。主のみ言葉の前にへりくだり、主に信頼し聞き従うなら、主は私たちに先立って戦われ、勝利を与えてくださるのです。

結 び

  • 「エベン・エゼル」(Ⅰサムエル7:12)、助けの石。イスラエルは、失敗を通して主のみ言葉に聞き従うことを訓練された結果、主が彼らの助け主であるという偉大な事実を知りました。
  • 私たちには救い主なる主キリストが与えられています。主イエスこそが、私たちの「救いの岩」です。私たちも「主が私たちを助けてくださった」と、常に告白してまいりましょう。
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