『秩序が与えられている恵み』
説教:高橋正人 牧師
聖書箇所 エペソ4:1-16
はじめに
このエペソ人への手紙は、パウロがローマの獄中において書いたものです。彼は獄中にあっても、教会がキリストのからだとして健全に成長するようにという祈りと願いをもって、この手紙を書き送りました。今朝は、この聖書箇所から、教会に与えられた賜物とそれを用いる秩序について共に見てまいりましょう。
Ⅰ.神はすべてのキリスト者に固有の賜物を与えておられる
- 私たちキリスト者は、主イエス・キリストの十字架の贖いによって、主を信じる者となり、唯一のお方である神を信じ、その神の御名によって一つのバプテスマを受けました(エペソ4:5)。
- しかし、同じ主を信じる私たちですが、一人ひとりが違うように、神は私たちそれぞれに異なった賜物を与えておられます。「私たちはひとりひとり、キリストの賜物の量りに従って恵みを与えられました。」(エペソ4:7)
- 賜物は一人ひとりに神からすでに与えられているものです。タラントの譬えのように、賜物はそれを用いていくときに更に豊かにされます。私たちはそれぞれに与えられている賜物に御霊によって気づかせていただき、活用させていただきましょう。
Ⅱ.神の賜物は、キリストの教会を建て上げるためのものである
- 賜物が与えられているのは、もちろん自分自身を喜ばせるためではありません。賜物は、キリストのからだなる教会が成長し建て上げられるために、互いのために与えられているものです(エペソ4:16)。
- 教会が建てあげられていく目標は、「信仰の一致と神の御子に関する知識の一致とに達し、完全におとなになって、キリストの満ち満ちた身たけにまで達する」(エペソ4:13)ことです。
- 教会を建て上げるために、一人ひとりが神に召し出された者であることを受け入れあい、互いのために与えられた賜物を用いてまいりましょう。
Ⅲ.神は賜物を用いるために秩序を定められた
- 神からそれぞれが賜物を与えられていても、各自が自分勝手にそれを用いていたのではキリストのからだなる教会は建て上げられません。
- そこで、賜物が正しく用いられるために、「キリストご自身が、ある人を使徒、ある人を預言者、ある人を伝道者、ある人を牧師また教師として、お立てになったのです。」(エペソ4:11)
- 神に立てられた者たちによって、教会の秩序が保たれると、与えられた賜物が正しく用いられ、そこに神の命が流れ神の栄光が現されます。神に立てられた奉仕者たちは「聖徒たちを整えて奉仕の働きをさせ、キリストのからだを建て上げる」(エペソ4:12)ために、群れに置かれた神からの賜物です。
結 び
使徒パウロは、私たちに神が望まれることを示します。それは、信者たちが「信仰の一致と神の御子に関する知識の一致とに達し、完全におとなになって、キリストの満ち満ちた身たけにまで達する」(エペソ4:13)ことです。そのために、神は私たち一人ひとりに奉仕をするための賜物を与えてくださいました。賜物を正しく用いるためには秩序が必要です。賜物を生かし合いながら、成長し、愛のうちに教会が建てられるために、神が恵みとして私たちに秩序を与えておられることを感謝しようではありませんか。