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あなた自身の宗教改革

説教:田村敬子 伝道師
聖書箇所 ローマ12:1-12

今日10月31日、宗教改革記念日である。
 さて現代の私たちにとって、罪からの解放、魂の救いは金で買うものではない、ということは当然の常識である。 主イエス・キリストの十字架と復活だけが唯一、しかも完全に私たちを罪から救い出してくれる。しかし、たった500年 前にはこれが常識でない時代があった。ルターだけではない。カルヴァンや多くの名もないクリスチャンたちは、この 当たり前の『信仰の大前提』を勝ち取るために命をかけて戦った。今日は、宗教改革にちなみ私たちが真剣に戦い取るべき『自分自身の宗教改革』について考えていきたい。

1 神に従うことは自分自身を改革すること

神を信じることは、私の罪の身代わりにキリストが十字架に架かり死んで甦ってくださったことを信じ、悔い改めることだ。しかし、それで完成ではない。「あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝」ローマ12:1 「礼拝」とは「奉仕」とも訳せる言葉であり、自分の存在を通して「神に仕え生きること」が、真実の「礼拝」=「献身」である。毎日の生活そのものが礼拝であるということがわかる。 私たちは、自分自身を捧げ続け、神の御心を追い求め、日々自己改革されるべきである。 「この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい」ローマ12:2 神に反逆し自分本位に歩んではいないかもしれない。しかし、あなたの信仰はどっち着かずの「二股」状態ではないだろうか。「心の一新によって」自分を変えなさい。いや変えていただくように主を見上げなさい。いい訳をしようと思えばいくらでもその種はある。しかし、今日「心の一新によって」変えるべき部分がないか、聖霊に探っていただくべきではないだろうか。

2 あなたはキリストのからだ=愛の共同体

神への献身と御霊による改革は同時にキリストをかしらとした教会の一部とされることでもある。 キリスト者はひとりで生きるのではなく、キリストと兄弟姉妹との交わりの中に生き、共に仕え、成長していく。 パウロはキリストのからだである共同体の一員として『信仰・賜物・立場』に従い言動することを勧めている。 神はすべてのキリスト者にそれぞれ多種多様な霊の賜物を分け与えておられるからである。Ⅰコリント12:4~ あなたは自分がキリストのからだの大切な器官であることを自覚しているだろうか。 「胃」が単独で生き続けることは出来ないし「横隔膜」が1人でがんばったところで「肺」や気管が機能しなければ呼吸は出来ない。多くの部分が組み合わされ、それぞれが各自の機能を果たしてこそ、その身体は「生きる」ことができる。互いが互いのために存在しているのだ。与えられた賜物を用い、仕え合っていくことこそ、あなたは本当の意味で生かされる。そして、そこには愛がなくてはならない。互いがそっぽを向いていたのでは機能するものも機能しない。

結論

「神の愛に生きる教会」私たち神召キリスト教会は、この長期ビジョンを掲げて特にこの1年歩んできた。 真実の愛は悪を憎み、善を求める。本当の愛は捧げることの喜びを知っている。真実の愛によって、「何が良いことで 神に受け入れられ、完全であるのか」をわきまえ知ることができる。 私たちに注がれた神の愛(十字架の愛)は真実である。だとしたら、私たちもまた真実な愛を体験しているものとして 「真実の愛」に生きることができるはずである。私たちは中途半端のどっちつかずでいつまでもいてはいけない。今日 心の一新によって真実の愛に生きるものと変えていただこう。私たちに与えられた賜物を、自分だけのために用いる のではなく兄弟姉妹のために用いる者となろう。それぞれが大切な「キリストのからだ」なのだから。

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