礼拝説教

礼拝メッセージ

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未来志向の教会

説教:山城晴夫 名誉牧師
聖書箇所 創世記30:25-35

1913年8月日本宣教のために来日されたジュルゲンセン先生ご一家の愛と祈りによって1927年10月にここに建てられた神召教会は、83周年を迎えている。 戦前、戦中、戦後の激動する時代を経て今日に至っているが、私たちはただ、過去の歴史を見るだけでなく、未来に向かって力強く、新しい一歩を踏み出したい。京都の立命館大学の創設者である末川 博先生は「政治は現代を動かし、教育は未来を動かす」と言われ、教育の道を選ばれたという。わが神召教会の初代牧師の弓山喜代馬先生も先ず、献身者教育のために教会内に聖霊神学院(現中央聖書神学校の前身)を設けて伝道者の養成に当たられた。すでに600名の卒業生を国内外に送り出し、教団が発展してきた。

テキストではヤコブが伯父のラバンのもとで20年にわたって家畜の世話をしながら伯父に仕えてきた。そこで故郷の家に帰ろうとして伯父に申し出ると、 伯父はヤコブに望むものを報酬として与えることで彼を引き止めている。そこでヤコブが言うには「何も下さるには及びません。もし、次のことをしてくださるなら、ふたたび、あなたの羊の群れを飼って守りましょう」と言っている。 ヤコブは羊ではぶち毛、まだら毛、黒毛のもの、やぎではぶち毛とまだら毛のものだけを求めた。それは、まれに見るもので、ごく少数のものであった。ここで注目することはヤコブが目の前のごく、わずかなものを見ているのではなく、将来の大きな群れとなっている家畜を、信仰の目をもって見ていることである。

ヘブル11:1には「信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです」とある。ヤコブは見えるものではなく、見えないものを見ていたのである。(創世記28:15)アブラハムは神が備えられるものを信じて、最愛のわが子をささげた。(創世記22:8)やもめのささげもの(マルコ12:44)もそうである。少年は五つのパンと二匹の魚を主にささげ、アンテオケ教会は教会の中心的指導者であるパウロとバルナバを宣教のために送り出している。これらによって後代の人々が如何に、恩恵に与かっているかは言い知れないものである。彼らも見えないものを見て行動していたのである。神召教会は何を考え、何を見ているのだろうか?

ヤコブはただ、見えないものを漠然と見ていただけではない。彼は着々とその実現のために努力する。創世記30:37以下にそのことが記されているが、彼は劣勢の群れを、さらに増やすために努力を惜しまない。すなわち、信仰はフォローが必要であり、実践が必要である。量だけではなく(創世記30:43)、質においてもそうである。(創世記30:42)ちなみに、「弱い」というのは春の出産、「強い」というのは秋の出産の意味である。ヤコブのとったこの方法は彼の経験から得た知恵であったと思われる。(創世記30:37,38)カルバンは「ヤコブの知恵と労働に神の恵みを結び合わされた」と言っている。新約で言うならば、マタイ的信仰(マタイは100倍、60倍、30倍と書いている)とマルコ的実践(マルコは30倍、60倍、100倍と記している)とによって目に見えない目標に到達する事ができるのである。

神召教会の未来に、神の祝福と油注ぎを祈って止まない。会員各自に神の 御手が置かれるように!

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