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教会への感謝と祈り

説教:高橋正人 牧師
聖書箇所 ピリピ1:1-11

はじめに

ピリピ人への手紙は、パウロの獄中書簡の一つで、彼がローマの獄中にあったときに書かれたものです。しかし、獄中にあって書かれたにも関わらず、この書は「喜びの書簡」と呼ばれています。

1.ピリピ教会へのパウロの感謝

パウロは、ピリピ教会のことを思うごとに主に感謝し、祈るごとにいつも喜びをもって祈っていると述べています。それは、パウロがピリピ教会の人々が福音を最初に聞いた日(使徒16:11-40)から今に至るまで(約10年)、主イエスを信じる信仰に生き、福音を広めることに参与し続けていることを知ったからです。それは、パウロがピリピ教会の人々の信仰を導き、成長させて下さっているのは主であることを理解していたからであり、その主の御業に感謝せずにはいられなかったからなのです。

教会に召し集められた私たち一人一人も、主にあって救われたものです。初代教会のクリスチャンの特徴の一つは、喜びと感謝にありました。クリスチャンとは、自分が救われたことを喜ぶのみならず、他の兄弟姉妹に主がなして下さった大きな救いの御業をみて喜び感謝する者です。もし、私たちのうちに喜びと感謝が薄れているなら、もう一度、私たちのうちになされたキリストの救いの恵みを思い起こそうではありませんか。

2.真の知識による愛の行い

祈りの人でもあるパウロは、益々ピリピの人々の信仰が成長することを願って主に祈っています。それは、「あなたがたの愛が…いよいよ豊かに」なるようにという祈りです(ピリピ1:9)。信仰の成長のためには真の知識による愛が必要です。真の知識とは、キリストご自身のことです。キリストの愛に導かれていた彼らは、その愛を実践していました。彼らは、獄中にあるパウロのために献金を集め、それをエパフロデトに託してパウロに届けました。しかも、その経済的援助は一度だけではありませんでした(ピリピ4:15-16)。彼らの行為は、パウロを通してなされる主の業に参画するものであり、パウロ個人に対するものだけではありませんでした。

ここで大切なのは、真の知識による愛の行いです。真の知識によらない、自分の思いや願いに根ざした一時の感情的な行為は、教会の徳を高めることには結びつきません。私たちがへりくだって主の御心がなされることを第一に求めて行くとき、主が私たちのうちに働きかけて、良いわざを成し遂げさせて下さるのです(ピリピ1:6)。ですから、私たちは常に「信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないで」(ヘブル12:2)いる必要があるのです。

結 び

主は私たちに信仰を与えてくださいました。信じる者たちが呼び集められたところが教会です。教会は主がなしてくださった救いを喜び、常に感謝する群です。この喜びと感謝は、この世が与えることも奪うことができないものです。なぜなら、それらは聖霊が与えてくださる喜びだからです。私たちはイエスご自身が喜びに満ちあふれていたことを思い起こしましょう(ルカ10:21)。この喜びと感謝に満ちあふれ、主から与えられた福音宣教の使命のため、祈り、奉仕し、捧げつつ、主の働きに加わってまいりましょう。)

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