神への賛美
当時のイスラエルは南北に分裂していました。 南のユダ王国に、ある日敵が南から攻めてきました。それもおびただしい大群です。当時の王様はヨシャパテでしたが、彼は民衆と共に主を求めました。その結果、神様は御自身が働かれる事を彼らに告げられたのです。
1.信仰が前提
ヨシャパテ王の時代は、神様の言葉は律法の他に預言者を通して与えられていました。現代の私達には、神様の言葉として聖書が与えられています。ここで言われている事は、2つあります。神様を信じ、忠実で正しい心を示す事。そして神の御言葉を信じ、勝利を体験する事です。
ヘブル11:6には、このように書いてあります。「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです。」 時々、こういう方がおられます。私には信仰が乏しいから、自信がないとお思いになるのです。そのような状態で賛美するのは実にもったいないです。祈って、神様から信仰を増し加えていただきましょう。
2.人のわざに先立つ
一昔前の話ですが、賛美は礼拝の中であまり重要視されていませんでした。賛美は礼拝の為の儀式だとか、説教の前の前菜だとか言っていた人がいました。とても残念な気がします。
そもそも賛美とは何でしょうか?英語の辞書では、賛美を意味する「プレイズ」と、礼拝を意味する「ワーシップ」とは、ほとんど同じ意味の言葉として使われています。賛美と礼拝とは切り離せないのです。 更に、ここで注目したい事があります。
賛美とは信仰告白でもあります。神様がどのような方で、どのような事をし、私達に対してどのように関わっておられるかを告白するのです。
私達の賛美は、私たちが口に出すだけではありません。口に出した事を同時に聞くのです。そして、心に刻まれていくのです。私達は週の初めに礼拝を守ります。キリスト者として心が整えられ、それから私達は世に出て行きます。同じように、私達は何か事を行なう前に、神様を賛美しましょう。共に歩んでくださる神様を喜びつつ、事に当たりましょう。
3.神のわざがあらわれる
私達が賛美する時、何が起こるのでしょうか? Ⅱ歴代誌5:13を読んでみますと、私たちの賛美に対して、神様の臨在があった事が書かれています。 詩篇22:3には、神様が私たちの賛美を住まいとされる、ということが書かれてあります。神様は御自身が住まいとされるほど、私達の賛美を喜んでおられるということなのです。 神様の臨在があるとどうなるでしょうか?私たちの心は、ただ神様に向かいます。神様の思いに反するものは、たじろぎ又は退きます。心には喜びや感謝が、或いは心からの悔い改めや、平安が訪れます。このように私達は上からの良きもので満たされます。私たちを一方的に愛して下さる神様は、私達の賛美に対して喜んで応答したいお方なのです。