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平和の王、イエス・キリスト

説教:高橋正人 牧師
聖書箇所 エペソ2:14-16

今年も8月15日、終戦記念日を迎えました。65年の歳月を経、戦争を知らない世代が大多数となった現在ですが、私たちは今与えられている平和が決して当たり前だと思ってはなりません。再び同じことを繰り返さないために、私たちが歴史から学ぶべきことは多くあります。何よりも歴史を導かれ、この日本にご計画を持っておられる主を、この機会に深く覚えてまいりましょう。

人は誰でも、戦争はもちろん、争いのない平和な生活を願いますが、聖書は、私たちに本当の平和を与えて下さるのは、主イエスご自身であると言っています。「キリストはわたしたちの平和です」(エペソ2:14)。

Ⅰ.キリストは平安を与えるお方である。

人間は主のかたちに似せて創造され、主と共に生きる者とされました(創世記1:27)。本来、神と共に生きるべき人間が、主から離れてしまうと、心に平安や平和はなくなり、不安や恐れだけが残るのです。主イエスは、神から離れてしまった人間のところに来てくださり、「あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません。」(ヨハネ14:27)と権威ある言葉をもって語られ、「平安を与える」と宣言されました。主イエスご自身こそが、平和そのものであるお方です。平和の王である主を信じるなら、その者の内に主ご自身が住まわれ、主の平安と平和をもって私たちの心を治めてくださいます。平和の主を今日もう一度見上げようではありませんか。

Ⅱ.キリストは神と人とを和解させるお方である。

全ての人は、神から離れた罪人です。人のうちにある罪によって、主のみならず、人間同士が争い、敵意を持ち、憎しみ合うのです。主に対する罪の解決がなければ、人間関係においても和解はありません。罪に対しては、主の厳然たる裁きがあります。「罪から来る報酬は死です」(ローマ6:23)しかし、主イエスは、罪の世に来てくださいました。そして、主は神と人とを和解させるための十字架を負ってくださいました(Ⅱコリント5:18)。主は神と人との平和を実現するために、「敵意を十字架によって滅ぼし、葬り去られ」たのです(エペソ2:15-16)。変わることのない平安や平和とは、まず何よりも神との和解から始まります。クリスチャンとは、主イエスが、神と人が和解するために十字架にかかってくださったことを受け入れ信じた者です。キリストの十字架の贖いによって、私たちは「ひとりの新しい存在」(エペソ2:15)である教会を構成する者とさせていただいたのです。教会は、キリストにある和解の集合体であることを覚えましょう。教会にあっては、あらゆる対立、憎しみ、敵意はもはや存在しないのです。それらのものは、すべてキリストによって十字架上で滅ぼし尽くされてしまったからです。「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」(Ⅱコリント5:17

Ⅲ.キリスト者は、和解の福音を委ねられた者である。

私たちは、主イエスによって建てられた平和のうちに入れられ、神と和解させていただいた故に、恐れることなく大胆に主に近づいていくことが許されています(エペソ2:18)。主イエスによって救われた者は、父なる神にある神の家族です。一人一人に主から与えられた個性があり、その働きや奉仕においても多様性があるのが教会です。しかし、私たちは皆、主の恵みの内に生かされ、一つの御霊によって導かれる信仰生活を送っています。主イエスは「平和をつくる者は幸いです。」(マタイ5:9)と言われました。平和とは、自分だけのものではなく、主からいただいた平和を互いに用いて行くことで育まれ、成長して行きます。主イエスがおられるところには平和と平安が満ちています。いつも主の臨在の前に歩み、平和の王である主イエスから平安と平和をいただきましょう。常に御霊と共に歩み、主の平和を作り出す者とさせていただきましょう。和解の福音を委ねられた私たちは、大胆に平和の王である主を証してまいりましょう。「神はイエス・キリストによって、平和を宣べ伝え、イスラエルの子孫にみことばをお送りになりました。このイエス・キリストはすべての人の主です。」(使徒10:36

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