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最初であり、最後であるお方

説教:高橋正人 牧師
聖書箇所 黙示録1:9-20

使徒ヨハネは、迫害にあってパトモス島に流されていました。そのような環境の中にあっても主を礼拝し続けたヨハネに、主は今地上で起こっていること、そして主が再び世に来られるまでに世界で起こることを幻によって見せたのです。それをヨハネが書き記したのがこの黙示録です。

Ⅰ.栄光の主の御姿

黙示録の著者は、主の日に御霊に感じ、「足までたれた衣を着て、胸に金の帯を締めた、人の子のような方」(黙示録1:13)を見ました。「人の子」とは、主イエスのことです。ヨハネはかつて復活の主に会いましたが、この時は、やがてこの世にもう一度来られ、人間の救いの完成を成し遂げてくださり、全世界を神の栄光をもって支配してくださる王の王、主の主としての栄光の姿を見ました。

主イエスがやがてこの世に来られる時は、先に世を去った全世界のクリスチャンたちが墓から復活することが約束されています。「…それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。」(Ⅰテサロニケ4:16-17)私たちは主と同じ栄光のからだに変えられて、主のみ前に立ち、いつまでも主とともにいることになります。主のみ前に、罪人は立つことはできません。ですから、主イエスの再臨の時に今から備えなければなりません。主は十字架によって、私たち人間に救いを与えてくださり、私たちは主イエスを救い主として信じる信仰によって罪赦され、神の子とされるのです。「ただキリスト・イエスを信じる信仰によって義と認められる」(ガラテヤ2:16

ヨハネはまた、人の子が右の手に七つの星と、七つの金の燭台を持っている姿を見ました(黙示録1:20)。教会は、この暗闇の世に、生きた真の救い主であるキリストを照らす燭台です。教会は自分自身の力で光り輝くのではなく、「私は世の光です」(ヨハネ8:12)と言われたイエス・キリストによって光り輝くのです。「曲がった邪悪な世代の中にあって…、いのちのことばをしっかり握って、彼らの間で世の光として輝く」(ピリピ2:15-16)のが、私たちクリスチャンの姿です。主イエスの御言葉の光によって輝く教会は、闇の中に光を失っている人々にキリストの命の道をはっきりと示すことができるのです。

Ⅱ.生と死を支配するキリスト

神は、旧約聖書では、永遠から永遠に至るまで存在され、私たちに真の命を与える「生ける神」としてご自身を示されました。新約聖書で主イエスは「わたしは、最初であり、最後である」(黙示録1:17)と宣言されました。これは主が無限であり、全宇宙の全ての時間と空間を支配する究極的な存在であることを示す表現です。このことは、主が再臨されたときに、全てのことを完成され、統治されることの力強い御約束でもあります。主はまた、「わたしは死んだが、見よ、いつまでも生きている。また、死とハデスとのかぎを持っている。」(黙示録1:17-18)とも言われました。全てを支配する主イエスであるからこそ、生きるも死ぬも、全て命に関する権威を持っておられるのです。主イエスは、人間の死という究極的な問題についても、復活ということによって勝利されたのです。この死にさえ打ち勝ったお方が、常に私たちと共にいつもいてくださるというのは、なんと大きな安心であり、平安でしょうか。「死よ。おまえの勝利はどこにあるのか。死よ。おまえのとげはどこにあるのか。」(Ⅰコリント15:55

今私たちと共におられる主は、勝利の主であり、やがて再びこの世に救いを完成されるために来られるお方です。私たちにとって再臨が遠い将来のこと、今の私たちの生活とはかけ離れたことのように思われるなら、もう一度御霊によって「主は近い」(ピリピ4:5)ことを鮮やかに示していただきましょう。最初であり、最後であるお方は、この地上における私たちの歩みを確かな御手をもって導かれるのですから、私たちは日々いっさいを主に委ね、再臨の主を待ち望む信仰によって歩み続けましょう。「あなたがたのうちに良い働きを始められた方は、キリスト・イエスの日が来るまでにそれを完成させてくださることを私は堅く信じているのです。」(ピリピ1:6

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