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教会を建て上げる聖霊

説教:高橋正人 牧師

五旬節(ペンテコステ)の日に、みなが一つ所に集まっていた時、主イエスが約束された聖霊が下りました。そこにいた人々は聖霊に満たされ、御霊が話させてくださるとおりに、他国のことばで話しだしたのです(使徒2:1-4)。このペンテコステの日に、教会が誕生しました。聖霊は教会を誕生させたばかりではなく、現在も教会に内住して下さり、教会を成長させてくださるのです。

先ず、教会を生みだして下さった聖霊の働きについて見てみます。マタイ福音書16章で、使徒を代表したペテロが主イエスを「神の子キリスト」であると告白しました。その時、主イエスは彼に「あなたはペテロです。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます」(マタイ16:18)と言われました。主イエスを救い主と告白する信仰の土台の上に、キリストの教会は建てられるのです。その信仰告白をさせて下さるのは、聖霊の働きによります。先週の礼拝においても見ましたが、「聖霊によるのでなければ、だれも、「イエスは主です。」と言うことはできません。」(Ⅰコリント12:3)聖霊は、私たちに罪を示し、主イエスが自分の罪のために十字架にかかってくださったことを理解させて、主を信じる者としてくださいます。聖霊は私たちの霊の目を開き、罪について、義について、さばきについて教えてくださるのです。聖霊なしに私たちの信仰はあり得ませんし、教会は存在しません。ですから、私たちにとって、教会にこの第三位格の神である聖霊がおられるということは、最大の賜物です。私たちは、日々、この聖霊が与えられていることを喜び、感謝し、主の聖名をほめたたえましょう。

さらに、聖霊はキリストの体である教会を成長させ、建て上げ、完成を目指すように導かれるお方です。「私たちがみな、信仰の一致と神の御子に関する知識の一致とに達し、完全におとなになって、キリストの満ち満ちた身たけにまで達する」(エペソ4:13)ためには、聖徒がキリストに似る者として成長することを、絶えず求めて目指して行くことが必要です。しかし、これらのことを成し遂げ、完成させてくださるのは人間の努力や能力によるのではなく、聖霊の働きによるのです。聖霊は私たちの内にキリストに似る者となりたいという聖い願いを起こさせてくださいます。そして、その願いを実現に至らせてくださるのは神のお働きです(ピリピ2:13)。私たちは自分の思いや願いを、まず主の前に明け渡し、聖霊の思いと願いが何であるかを知る必要があります。

また、聖霊は信者に賜物を与え、その賜物を分かち合う共同体を形成し、キリストの業を現すように信者を整えてくださいます。パウロはこのことを、人間の体の各器官に例えて説明しています(Ⅰコリント12:14-24)。主イエスは、そのからだである教会のかしらであり、教会はキリストのからだです(コロサイ1:18エペソ1:23)。それぞれの体にある器官はとてもたくさんあり、その器官でしかできない独自の働きをしています。器官の働きが全く異なっていたとしても、一つの体に属するのです。各器官に優劣はありません。どの器官も重要であり、互いに密接に関わっているために、一つが機能しなくなると、体全体に影響が及ぶのです。体が円滑に活動していくためには、「調和」(Ⅰコリント12:24)と「いたわり合い」(Ⅰコリント12:25)が必要です。教会に召されたクリスチャンは、各自が主から賜物を与えられており、キリストの体なる教会を形成している一人ひとりです。キリストの教会において、一人の存在は極めて大切であり、決して欠けてはならない尊い働きを担っているのです。

主が一人ひとりに与えられた賜物は、共同体の中で用いられてこそ役に立ち、その真価を発揮します。聖霊はキリストの栄光を現すために、私たち一人ひとりに教会を建て上げる賜物を与えてくださっているのです。聖霊は教会を通して、私たちキリスト者の成長に必要な賜物を与えておられるのですから、私たちの信仰の成長は、教会生活を抜きにしては有り得ません。ペンテコステ祈祷旬間にある私たちは、キリストの体なる教会のために、教会に連なる一人ひとりの徳を高め合うことを目指して、共に聖霊を飢え乾きをもって待ち望もうではありませんか。調和と一致のあるところに、御霊はキリストの豊かな命を溢れさせてくださいます。

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