私たちの内に在るキリスト
主イエスは、いつも信じる者と共にいて下さいます。しかし、私たちの信仰生活の中で、しばしば神はどこに行ってしまわれたのだろうと思ってしまうことはないでしょうか。弟子たちは、主イエスの側近くにおり、神の素晴らしい御業を目の当たりにしていました。この記事の前では、弟子たちは、主イエスが五つのパンと二匹の魚で、男だけでも五千人の人々を満腹させる奇跡を体験しています。
しかしこの後、弟子たちはその信仰を試されることになりました。弟子たちは舟上で向かい風のために漕ぎあぐね、目的地にたどり着けない状態に陥りました。弟子たちは全く行き詰まっていたと考えられます。主イエスは、そんな弟子たちをご覧になって、彼らに近づいて行かれました。水の上を歩いておられる主イエスを見て、弟子たちは幽霊だと思い叫び声をあげたのです。
私たちは、順風万帆で、快調な時は、いつも神さまがそばにいて下さると思います。しかし、少しでも風向きが悪くなると、まるで神などいないと言わんばかりに怖じ惑ったり、神を疑ったり、あるいは神に見放されたと感じることがあるのではないでしょうか。弟子たちの姿は、目に見える困難な状況に左右され、主がおられないと思い込んでしまう、私たちの弱さを現しているでしょう
忘れてならないのは、この出来事は、もともと主イエスが強いて弟子たちを舟に乗り込ませたことから始まっているということです。私たちも、ある意味で強いられて、それぞれの場所に置かれていると言えます。この世が考えるように、私たちを取り巻く状況は、決して運命や偶然によるものではありません。主イエスが私たちを強いて、「そこに生きよ」と言われて置いて下さったのです。置いて下さった以上、主イエスは自ら舟上の弟子たちに近づいて下さったように、私たちにも近づいて下さいます。主は決して私たちを放ったり、見捨てられたりはなさいません。
弟子たちをご覧になっていた主イエスは、今は聖霊を通して私たちの内におられます。私たちの歩みにおいて、ほんの一瞬でも主が共におられないということはありません。「見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」(マタイ28:20)主は約束のごとくに、聖霊を一人一人に与えて、いつも共にいて下さり、私たちの様々な事柄について深く関わって下さいます。慰め、励まし、勝利を与えて下さる神が共にいて下さるなら、私たちは何を恐れることがあるでしょうか。神が味方ならば、敵するものは何もないのです。