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十字架のちから

説教:山城晴夫 牧師
聖書箇所 マタイ27:27

キリストはゲッセマネの苦祷の後、捕らえられて、アンナス、カヤパ、ピラト、ヘロデ、ピラトの前で尋問されてあざけられ、ののしられ、鞭打たれ、唾せられて、疲労も極度に達しておられた。その上、重い十字架を背負わせられてゴルゴタまで歩かせられて、何度も倒れては鞭打たれ、立ち上がっては倒れるという状態が続き、もうこれ以上、前に進むことが出来ないようになられたとき、兵士たちがあたりを見回すと、そこにクレネからやって来たシモンという男を見つけて、無理やりにキリストに代わって十字架を背負わせた。多分、彼はからだが大きく、力もありそうに見えたのであろう。彼はクレネにおいてユダヤ教に改宗して、過越しの祭りを守るためにエルサレムへ上って来たのかも知れない。

聖書を読むと、そこには彼についてのストーリーが生まれ、展開して行く。

キリストとの出会い

マルチン・ブーバーは「人生は出会いで決まる」と言っているが、シモンが出会ったキリストはメシヤの姿はなく、預言者イザヤが言っているように、「彼には私たちが見とれるような姿もなく、輝きもなく、私たちが慕うような見ばえもない。彼はさげすまれ、人々からのけものとされ、悲しみの人で病を知っていた」キリストであった。イザヤ53:2,3 シモンは重い十字架を背負いつつも、彼の心は不思議に平安に満たされていった。

十字架のキリストを仰ぐ

ゴルゴタの丘に立てられた3本の十字架、そして真中の十字架には神の御子がつけられ、左右には犯罪人がつけられていた。朝の9時から午後3時に至る6時間のお苦しみを人類に代わって受けられた。とくに12時から3時に及んで太陽は光を失い、暗黒の世界となった。「エリ、エリ、レマ、サバクタニ(わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか)」と叫ばれ、また、「父よ。彼らをお赦しください。かれらは何をしているのか、自分でわからないのです」と自分を苦しめている人々のために祈られた。十字架上の7つのことば を聞き、お姿を見て、シモンはまさにこの方こそ、メシヤ、救い主に違いないとキリストの前にひれ伏して、主を信じたのであろう。

救われ、パウロの同労者となる家族

彼の家族がローマにいたことを聖書は暗示している。しかも、シモンの救いの影響を受けて家族も救われた。クレネ人シモンの記事はマタイ、マルコ、ルカの福音書に記されているが、マルコの福音者だけに息子たちの名前が出てくる。マルコ15:21 マルコはローマ人に対してキリストを紹介するために福音書を書いていることから考えると、シモンの息子たち、アレキサンデルとルポスという名前はローマ人の間で知れ渡っていたようである。ローマ16:13には「主にあって選ばれた人ルポスと言い、そしてシモンの妻についてはパウロは「彼(ルポス)と私との母」と言っているようにパウロにとっても母のように世話をしてくれ、宣教活動を支え、助けた彼女を想像することができる。

異邦人伝道にかかわる?

アンテオケ教会における教師の一人であり、ニゲルと呼ばれるシメオンのことが出ているが彼はアフリカ出身であり、クレネ人シモンと同一の人物という説も根強く支持されている。 「だれでも、わたしについてきたいと思うものは自分を捨て、自分の十字架を負ってわたしについて来なさい」と言われる主に従うとき、人生は変わり、また、開けて行くのである。

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