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信仰の遺産

説教:山城晴夫 牧師
聖書箇所 Ⅰ列王記21:1-4

昨年はプロテスタント信仰が伝えられてから150周年を迎えて、記念行事が各地で行われた。私たちはこのような先覚者たちの祈りと働きによって日本宣教が始まり、続けられてきたことを思い、私たちもまた、日本宣教というバトンをしっかり、受け継いで走り続けなければならない。

さて、イスラエルのアハブ王の時代にナボテという人がいて、彼はアハブ王の宮殿の近くにぶどう畑を持っていた。そこでアハブ王はナボテのぶどう畑が欲しくなり、ナボテにその代わりにもっと良いぶどう畑をあげるか、良い値で買い取ろうと話をもちかけた。しかし、ナボテの答えは「NO!」であった。彼は「主によって、私にはありえないことです。私の先祖のゆずりの地をあなたにあたえるとは」と言っている。
 「先祖のゆずりの地」とは、「聖徒たちから受けた信仰の遺産」のことである。

① 聖書について

聖書は宗教書、あるいは道徳の教科書とか、文学書として考えられているが、聖書は霊感によって記された神のことばであり、信仰と生活の誤りなき基準である。

② 神について

日本人の神観念は汎神論であり、本来、神によって創造されたものを神とし、信仰の対象として崇めている。例えば太陽や月、星などのように天体崇拝や、偉業を成し遂げた偉大な人間なども祀られて信仰の対象となっている。しかし、聖書の神は父、子、御霊なる三位一体の唯一の神である。

③ 罪について

刑法上の罪、道徳上の罪、さらに良心の呵責などを罪とするが、神を信じないことが罪の根であること、そして最大の罪であることについては無知である。聖書は自己中心の生活、そのものが罪であることを教えている。

④ 救いについて

罪からの救いは行いによらず、罪を悔い改め、イエス・キリストのあがない(私の代わりに私の罪を負い、十字架にいのちをささげて死んでよみがえり、永遠のいのちを与えてくださる)を信じることによって、救われるのである。使徒20:21

⑤ 聖霊のバプテスマ

救われた者が受ける聖霊の満たしの経験で、異言を語ることによって証明される。使徒2:4 いわゆる、ペンテコステの恵みである。20世紀初頭にアメリカのカンサス州トペカのベテル聖書学校に注がれた聖霊の恵みが全米に広がり、ロスアンゼルスのアズサにおいては聖霊の大リバイバルが起こって全世界にその恵みが拡大されていった。この恵みはジュルゲンセン先生一家によって日本にも伝えられ、今日、アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団を形成している。聖霊のバプテスマは、救いの経験と同一視されるものではなく、新生経験に続く第二の恵みである。

パウロが「あなたがたは自分の罪過と罪との中に死んでいた者であって、この世の流れに従い、空中の権威を持つ支配者として今も働いている霊に従って歩いていました。私たちもみな、かつては不従順の子らの中にあって、自分の肉の欲の中に生き、肉と心の望むままを行い・・・・・生まれながら御怒りを受けるべき子らでした」と語り、ペテロが「あなたがたが、むなしい生き方から贖い出されたのは・・・・・キリストの血によったのです」と言っているように私たちは伝えられた福音によって今の恵みにあずかっているのである。ナボテが先祖のゆずりの地をいのちを賭けて守ったように、私たちも聖徒たちから受けたこれらの信仰の遺産をいのちがけで守り通さなければならない。

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