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右におられる主

説教:山城晴夫師 牧師
聖書箇所 使徒2:25-28

テキストは五旬節の日に聖霊に満たされたペテロが、各地方から集まってきた群集に向かって語り、そのことばに心を刺された3,000人のひとたちがバプテスマを受けて、弟子たちに加えられたという彼の説教の中のことばである。 ペテロは詩篇16篇からダビデのことばを引用している。「主は私が動かされないように私の右におられる」と言っている。右とは聖書の中によく、使われていることばで、それは神の祝福を表している。イザヤはイザヤ41:10で「わたしはあなたを強め、あなたを助け、わたしの右の手であなたを守る」と神のことばを語っている。

ヤコブは晩年、エジプトで二人の孫たちの祝福を祈っているが、ヤコブの目は老齢のためにかすんでいて、見ることが出来なかったので、ヨセフは伸ばしたヤコブの右手が長子のマナセの頭に置かれ、左手が弟のエフライムの頭に置かれるようにとふたりをヤコブに向かわせた。ところが、ヤコブが腕を交差して、右手を弟のエフライムの頭に、左手を兄のマナセの頭に置いのを見て、ヨセフはそれは間違っていると思い、父の手を握ってエフライムの頭からマナセの頭へ移そうとしたが、父は「わかっている」と拒んでいる。(創世記48:8-22)そして弟エフライムは兄よりも大きくなり、その子孫は国々を満たすほどになった。

新約聖書ではよみがえられたキリストがテベリヤの湖畔で弟子たちの現われたときのことが記されている。弟子たちは夜通し、網をおろしたが獲物がなく、岸に引き上げようとしていた。そのとき、主は「舟の右側に網をおろしなさい」と言われ、弟子たちがそうするとおびただしい魚のために網を引き上げることが出来なかった。(ヨハネ21:1-14) このように右には特別な意味があり、神の祝福をそこに見ることが出来る。

「主が右におられるので、私は動かされることはない」と言っているように、ダビデはつねに主を彼の右に迎えていた。私たちはこのことが祝福される信仰生活の秘訣であることを知るのである。聖書時代には、右に立つ者は権威者、弁護者、勝利者であったことを考えると。私たちの主イエス・キリストこそが、つねに私たちの右に立たれるのに相応しいお方であり、かつ、そのときに私たちの生活が祝福され、何者によっても動かされることがないことを知るのである。

権威者なるキリスト

キリストは昇天前に「わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています」と言われているように(マタイ28:18)主は地におけるすべての法則の上にあられ、支配されるお方である。自然界、物質界、人間界、霊界におけるさまざまな奇跡がそれを物語っている。

弁護者なるキリスト

これは法廷用語であり、法廷において弁護者はつねに被告人の右に立っていた。 昇天後、ご自身の代わりに遣わされた聖霊は「助け主」であられる。聖霊はつねに私たちのためにとりなし、助けてくださる。パウロが「御霊も弱い私たちを助け、とりなしてくださいます」と言っているように、どんな時にも主は私たちのために弁護してくださるお方である。

勝利者キリスト

「あなた方は、世にあっては、患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです」(ヨハネ16:33)と言われたようにキリストは罪に勝ち、世に勝ち、死に勝ち、よみに勝たれた勝利者であられる。主が勝利者であられるので主にある者も主とともに圧倒的な勝利者となるのである。(ローマ8:37

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