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『平和の王イエス』

説教:髙橋正人師
聖書箇所 ルカ19:28-48

はじめに

本日は、平和の王として来られた主イエスを見てまいります。

Ⅰ.平和の王として来られたイエス

主イエスは、十字架を目前にして、子ろばに乗ってエルサレムに入城されました。これは、旧約聖書が預言していた、平和の王の到来の成就でした(ゼカリヤ9:9-10)。当時、ろばは民衆の乗り物であり、子ろばに乗った主イエスの姿は、人々と肩を並べて歩いてくださる柔和さをも表わしています。さらに、主は十字架において、最も低くなられて、神に呪われた罪人とさえなってくださいました。最もへりくだってくださり、人の弱さをご存じである御子だからこそ、人を罪から解放し、死にさえ打ち勝つ真の霊的な救いである平和を与えることがおできになるのです(ヘブル4:15)。実に、「キリストこそ私たちの平和」です(エペソ2:14)。

Ⅱ.平和の王イエスを迎え入れる

平和の王である主イエスを、人々は様々な態度で迎えます(ルカ19:37-39)。しかし、真の意味で、主を平和の王として迎えた者はだれひとりとしておらず、「平和に向かう道」を受け入れてはいませんでした。

「平和に向かう道」とは、真の平和そのものであられる主イエスを信じて心に迎え入れることです。主は、父なる神との平和を与えるために私たちの世に来られ、私たちの罪のさばきの身代わりとなって十字架にかかってくださいました。主イエスとその福音が語られている今こそが、神の訪れ、平和の王イエスが臨んでおられる時です。私たちは、今がいかなる時かをわきまえて、罪を悔い改めて神に立ち帰り、主を平和の王として心に迎えようではありませんか。

Ⅲ.主イエスは「平和へ向かう道」

主は宮で商売している人たちを見て、「わたしの家は祈りの家でなければならない」と怒られて、彼らを追い出されました(ルカ19:45-46)。これは、主イエスの「宮きよめ」と言われるもので、民の礼拝、祈りや信仰が、真実に主なる神に向けられていないことに対する悲しみによるものでした。

「神は、すべての人が救われて、真理を知るようになることを望んでおられます。」(Ⅰテモテ2:4)主の「宮きよめ」は、愛しているからこその行為です。主は、怒りによって人を滅ぼされたのではなく、全ての人の罪のさばきの身代わりとなって十字架で神の怒りを受けて下さいました(ガラテヤ3:13)。主はこの赦しの恵みをもって私たちを救いへと招いておられます。主の招きに応えて、主と向き合い、祈りによって真実の「平和へ向かう道」である主イエスと共に歩み続けて行きましょう。

結 び

主イエスは、王として私たちを訪れてくださいました。私たちは、主の十字架の贖いによって、父なる神との平和を頂いたのです。主は今も、日々に、御言葉と御霊によって私たちに訪れてくださっています。私たちは、主を王として心に迎え、私たちを通して現して下さる主の栄光の御業をもって主を賛美しましょう。

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