『神の長子』
はじめに
本日は、神の子、神の長子とされた幸いについて見てまいります。
Ⅰ.すべてのことには時がある
神の召しに応えたモーセは、イスラエルの民をエジプトから導き出す使命を果たすことを決心しました。彼は、しゅうとイテロにエジプトへ行くことの許可を得ましたが、実際には「さあ、エジプトに帰れ。あなたのいのちを取ろうとしていた者は、みな死んだ」(出4:19)という、神の言葉に従って旅立ちます。
聖書は、モーセがイスラエルの民をエジプトから解放する指導者として活動するために、「神の時」があったことを教えています。彼は、エジプトに帰るために主の導きを待ち、神の言葉に従ったのです。「すべてのことには定まった時期があり、天の下のすべての営みに時がある」(伝3:1)ことを覚えましょう。主に信頼して、主の時まで待ち、時が来たならば行動に移って行きましょう。「神のなさることは、すべて時にかなって美しい」(伝3:11)のですから。
Ⅱ.主によって神の子、神の長子とされる
主に従う決心をして踏み出したモーセに、主はエジプト王に語るべきこと、心得ておくべき事を教えます(出4:22-23)。心を頑なにした王は、民をなかなか去らせませんでした。しかし、最終的には、民を去らせました。イスラエルを「わたしの子、わたしの長子である」と宣言された主は、彼らを通して全人類を救うというご計画を持っておられたからです。
私たちクリスチャンは、主イエスの十字架の贖いによって、信仰によって「神の子」とされました(ヨハネ1:12)。今も、私たちを罪に縛り付けようとしたり、神から離れさせようとする力があります。しかし、私たちは信仰によって、「世に勝つ者」とされたことを覚えましょう(Ⅰヨハネ5:5)。私たちを通して、神の救いの恵みが人々に伝えられ、証しされるため主に用いられることを求めましょう。
Ⅲ.御子イエスの十字架の血潮によって
この箇所には、一見、理解できないようなことが記されています。主は、モーセがエジプトに向かう途中で、彼を殺そうとされます。妻のツィポラは、火打石を取って自分の息子の包皮を切り取り、モーセの両足に付けて、「まことに、あなたは私には血の花婿です」と言います。これによって、主はモーセを解放されます(出4:25)。これは、割礼によって流された血がモーセに付けられ、それによってモーセは殺されなかったということです。この後、イスラエルの民(神の長子)は、過越の小羊の血が自分たちの住む家の戸口に塗られたことによって救われます。割礼における血も、過越の時に戸口に塗られた血も、「血によって救われる」ということを指し示していると言えます。
私たちは、過越の小羊の血である御子イエスの十字架の血潮によって救いを頂きました。主の十字架で流された血潮は、何にも勝る救いです(ヘブル12:24)。私たちは、主によって救われ、神の子とされたばかりではなく「選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神のものとされた民」とされていることを感謝し、さらにこの救いの恵みを人々に告げ知らせる者とさせて頂きましょう。
結 び
人は全て、神の御前には罪人であり、滅びるしかなかった者でした。しかし、過越の小羊、すなわち主イエス・キリストの十字架の贖いによって救いを頂き、神の子とされました。偉大な救い主の御名をほめたたえ、神の子としてふさわしく歩み、主の救いを宣べ伝えて行きましょう。