『義の実を実らせる主の訓練』
はじめに
本日は、主の懲らしめ、訓練を通して与えられる恵みと幸いについてご一緒に見てまいります。
Ⅰ.子として扱っておられる
聖書は、迫害が始まり、困難が差し迫っていた当時のクリスチャンたちに対して、それがかえって信仰を成長させる機会となることを教えています。旧約聖書時代の信仰者たちは、様々な試練に会いましたが、そのことを通して、神から教えられ、成長したのです(ヘブル11章)。
神はクリスチャンたちを愛して、子として扱っておられます。親が子どもの成長を願って躾けを行うように、主は愛する者を懲らしめ、受け入れるすべての子に、むちを加えられるのです(ヘブル12:7-8)。「試練に耐える人は幸いです。耐え抜いて良しと認められた人は、神を愛する者に約束された、いのちの冠を受けるからです。」(ヤコブ1:12)神は私たちに、意味なく試練に遭わせるようなことはされません。試練と共に、耐えることができるように、脱出の道も備えてくださることも覚えましょう(Ⅰコリント10:13)。
Ⅱ.神の聖さにあずからせるため
クリスチャンの目標は、キリストに似るものとなることであり(エペソ4:13)、キリストの性質に変えていただくことです(ガラテヤ2:20)。父なる神は、神の子たちに、懲らしめを与えられますが、それはご自分の聖さにあずからせるためです(ヘブル12:10)。
使徒パウロは、主イエスの十字架の贖いによって神の子とされ、神との平和に入れられたことを喜んだだけではなく、患難さえも喜んでいると語ります。それは、「患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出す」こと、そして「この希望は失望に終わることがない」ということを知ったからでした(ローマ5:3-5)。私たちが様々な試練や困難に遭うときは、いっそう父なる神との強い絆が生まれ、神との関係が強まるほどに、深い平安に入れられることを覚えましょう。
Ⅲ.平安な義の実を結ばせるため
聖書は、神からの訓練について、「すべての懲らしめは、そのときは喜ばしいものではなく、かえって悲しく思われるものですが、後になると、これによって訓練された人々に平安な義の実を結ばせます」(ヘブル12:11)と教えています。詩篇の著者も、「苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。私はそれであなたのおきてを学びました」(詩篇119:71)と謳い、苦しみを通して、神の御言葉を学び、神の憐れみ深さ、恵み深さを知ったことに感謝しています。苦しみを通らなければ知り得ない神の恵み、結び得ない御霊の実があるということです。
どんな試練や苦難の中にあっても、忍耐をもって信仰というレースのゴールを目指して走り続けようではありませんか。主イエスは、ゴールに達することができるように、いつも私たちと共にいて下さり、助けてくださり「平安な義の実を結ばせ」てくださるのですから。
結 び
父なる神は、御子イエスによる救いを受けいれた者たちを「懲らしめ」たり、「むちを与える」ことがあります。それらは、信仰が成長するため、神をさらに深く知るためです。困難や試練の中にも、神の愛と導きがあり、「平安な義の実を結ばせる」ようにして下さることを覚えましょう。