主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。主は私を緑の牧場に伏させ、憩いのみぎわに 伴われます。 (詩篇23:1・2)
聖書では我々人間を羊にたとえ、イエスキリストをその羊飼いとして説明される場合があります。この聖句は大変有名な言葉ですが、いつの時代にも迷いやすい私たち人間を正しい道に導いてくださる神の大きな愛を示しています。
羊という動物はとても臆病で弱虫です。そして迷いやすく、群れからはぐれてしまうと自分だけでは生きていけないそうで、何か人間の姿ととてもよく似ているように思えます。しかし、羊飼いに従っている限り乏しいことはなく、緑の牧場、憩いの水辺に導かれるという祝福を与えて頂くことができるのです。このように主イエスを羊飼いとして描き、その慈愛を記した言葉は聖書全体のいたるところに記されています。聖書はまさに、神の我々人類に対する神の愛の書簡と言っても過言ではないのです。
今や世界は極めて狭くなった感じがします。地球の裏側の出来事も瞬時に伝わってくる時代になり、世界各地の紛争や気候変動による影響も直接我々の生活に及んでくる時代になりました。食糧難やエネルギー問題等の影響は我々を脅かし不安は募るばかりです。
しかし羊飼いとしてのキリストは私たちの生活の必要をすべて知り、私たちに日毎の糧を豊かに与え、日々の生活を守り支えるという祝福を与えてくださるお方です。悩みや迷いの多い昨今ですが、羊飼いなるキリストの声を聞き分け、キリストに全てを委ね、感謝してお従いしていきたいものです。キリストイエスは我々に必要な日々の糧を必ず用意してくださるからです。
そのような愛なる神への信仰に立って私たちは日々の歩みを進めていきたいと思います。
(S・M生)