『主こそ神です』
はじめに
本日は、「主こそ神です」と言わせてくださる神についてみます。
Ⅰ.すべての人が救われることを望む神
北イスラエルに、雨も露も降らなくなっておよそ3年目に、神はエリヤにアハブ王と会うように命じます。王はエリヤに、国に雨が降らず禍をもたらしているのはエリヤのせいだと言います(Ⅰ列18:17)。エリヤは、イスラエルに禍をもたらしているのは、王と王の父の家であると答えます(Ⅰ列18:18)。それは、王が神の命令を捨て、バアルの神々に従っているからだと(申命記11章、28章)、その理由も告げました。
主なる神は、どんな時でも北イスラエル王国を憐れみ、人々が神に立ち帰ることを願っておられました。それ故に、イスラエルに飢饉を許し、預言者を遣わして神への信仰を呼び戻そうとされたのです。今も変わることのない神は、教会を通して、人々が主のもとに来ることを願っておられます(Ⅰテモテ2:4)。心の戸をたたく主に、心を開いて主を迎える時、主はその人と共に居てくださるのです(黙3:20)。
Ⅱ.神の救いを大胆に告白する
エリヤは、王と王妃(イゼベル)のもとにいるバアルとアシェラの預言者たち全員と一人で対決します。そして、イスラエルを煩わしているのは誰なのかをはっきりさせようと告げます。さらには、イスラエルの全ての人々にも、いつまでもどっちつかずに迷っているのではなく、神に従うようにと呼びかけます(Ⅰ列18:18-24)。
エリヤは、どちらの神を信じるかと問いました。これは、民が創造主である神を知ってはいても、王や王の妻の迫害を恐れて、自分たちの信仰を言い表さなかったからです。今日の私たちも、信仰を言い表さなければならない時があります。その時、私たちは何を恐れるのでしょうか。主イエスは私たちの救いのために、ご自身の命をも捧げてくださった愛なるお方です。主の救いの恵みを、大胆に宣べ伝えるために、聖霊に拠り頼みましょう(ルカ12:11-12)。
Ⅲ.主こそ神であることを知る
エリヤとバアルの預言者450人との対決が、カルメル山上で行われます。それは、人手によらず、祭壇に火を下してくださるお方こそが生けるまことの神であるというものでした(Ⅰ列18:30-39)。エリヤは、「壊れていた主の祭壇を築き直し」ましたが、そこに主は火を下されました。これを見た民は、ひれ伏し「主こそ神です。主こそ神です」と言ったのでした(Ⅰ列18:39)。
アハブ王の時代にエリヤと人々に与えられた、まことの神であることを示すしるしは、今の私たちには、主イエス・キリストの十字架の死と復活に示されています。このことを理解させてくださるのは、人の権勢や能力によるのではなく、み言葉と聖霊です。主に、あらゆる霊的な知恵と理解力を求めて、神のみ心を教えていただこうではありませんか(コロサイ1:9)。主イエスと神のみ心を知る時、私たちの内に揺るがされることのない確信をもって歩み続けることができるのです。
おわりに
私たちの生けるまことの神は、ひとり子イエスの十字架の贖いを通して、恵みと憐れみに富んでおられるお方であることを示してくださいました。聖霊は、私たちにキリストを証してくださいます。み言葉と聖霊の働きによって、「主イエスこそまことの神です」という信仰の告白を与えられていることを覚えましょう。主を知る事が私たちのすべてのすべてなのですから。

