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『神の恵みの力』

説教:髙橋正人師
聖書箇所 Ⅰ列王記17:17-24

はじめに

本日は、恵み豊かな神についてみてまいります。

Ⅰ.すべての人々に与えられる神の救い

飢饉の中で、エリヤを迎えたやもめの息子が病気で死んでしまいます。彼女は、エリヤに「神の人よ、あなたはいったい私に何をしようとされるのですか。あなたは私の咎を思い起こさせ、私の息子を死なせるために来られたのですか。」(Ⅰ列17:18)と訴えます。エリヤの祈りを通して、子どもは生き返ります(Ⅰ列17:20-21)。

異邦人であり、神の民ではないツァレファテのやもめは、神の預言者であるエリヤを迎え入れ、エリヤを支えたことによって、厳しい飢饉の中、息子と共に神に養われます。このことは、神の憐れみと恵みが、異邦人にも与えられていることを示しています(ルカ4:25-26)。今も変わらない神は、全ての人の救いのために、御子イエスを遣わしてくださいました。救い主イエスを信じる者は、誰でも救いをいただけるのです。

Ⅱ.真実に神を知る幸い

飢饉の中で、エリヤを迎えたやもめの息子が病気で死んでしまいます。彼女は、エリヤに「神の人よ、あなたはいったい私に何をしようとされるのですか。あなたは私の咎を思い起こさせ、私の息子を死なせるために来られたのですか。」(Ⅰ列17:18)と訴えます。エリヤの祈りを通して、子どもは生き返ります(Ⅰ列17:20-21)。

一つの大きな信仰のチャレンジを受けたことで、彼女は「今、私はあなたが神の人であり、あなたの口にある主のことばが真実であることを知りました。」(Ⅰ列17:24)と具体的に神の臨在を体験したのです。神は、やもめを苦しめようとしたのではなく、神が生きておられること、神のみ言葉は真実であること、そして彼女を真実に救おうとされていることを示されたのです(ルカ4:25-26)。様々な困難に会う時こそ、私たちを愛してやまない、真実な主なる神に拠り頼もうではありませんか(ローマ8:32)。

Ⅲ.祈ることの幸い

エリヤは、「私の神、主よ。私が世話になっている、このやもめにさえもわざわいを下して、彼女の息子を死なせるのですか。」(Ⅰ列17:20)と神に叫び祈りました。この祈りは、主イエスの十字架上のことば「父よ、彼らをお赦しください。彼らは、自分が何をしているのかが分かっていないのです。」(ルカ23:34)という執り成しの祈りの雛形といえます。

神の御子が、人となって私たちのところに来られ、仕える者となられました。そして、私たちの罪のさばきの身代わりとして十字架で死んでくださり、三日目に復活されました。これによって、神は御子イエスを信じるすべての人々に、罪の赦しと永遠の命を約束されました。救いをいただいた私たちは、隣人の救いのため、執り成し祈り続けましょう。

おわりに

主なる神は、今も生きて働いておられます。苦しみ、嘆きのただ中で主に叫ぶ時、神は必ず応えてくださるお方です(ルカ11:9ー13)。私たちは、主が祈りに応えてくださることを通して、主こそ神であり、その恵は偉大であることを知り、ますます主に信頼し、信仰から信仰へと進ませていただきましょう。

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