『土台はイエス・キリスト』
はじめに
本日は、キリストという土台の上にふさわしい家を建てるたとえから、信仰の歩みについて見てまいります。
I.主イエスは信仰の土台
パウロは、神の教会(クリスチャンたち)について、建物のたとえをもって教えます。建物の土台は、人目には見えませんが、表面に現れる建物を支える重要なものです。ここで、「土台」とは主イエス・キリストのことです。彼は、その土台を「神の恵みによって、賢い建築家のように据えた」こと、すなわち主イエスを宣べ伝えたと語っています(Iコリント 3:10)。
教会は、イエス・キリストを土台として建てられています(マタイ 16:18)。故に、キリストにある歩みは、不動の岩である主イエスという確かな土台の上にあります。ですから、私たちは、堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励み、主イエスを見上げて歩み続けましょう。
Ⅱ.神の御心を中心として建てる
パウロは、自分の据えた「土台」の上に、ほかの人が家を建てるのですと語っています。これは、全ての教会、またクリスチャンが、どのように建てるのかが、各々に委ねられているということです。そこで、彼はどのように建てるかについて注意すべきことを教えています。
第一に、すでに据えられている土台(主イエス・キリスト)以外に、家は建てられないということ。第二は、建物の素材についてです。当時、神殿や宮殿を建てる時の素材は「金、銀、宝石」が用いられました。このことは、クリスチャンたちが建てる家は、神の御心を中心として建てるべきこと、また信仰生活をするということを語っていると理解できます。私たちは神の御心をなお深く知るために、聖霊に導かれて、あらゆる霊的な知恵と理解力を求めましょう(コロサイ 1:9-10)。
Ⅲ.教会に連なるすべての人が神の建物を建て上げる
パウロは、キリストにあって、教会は、またクリスチャンたちは、御霊がうちに住んでいる「神の宮」「神の神殿」であると宣言しています(Iコリント 3:16)。
神に呼ばれて、主の十字架による救いを頂いた私たちは、内に聖霊が住まわれる神の神殿、神の宮とされました。教会は、神の霊と神の愛が満ち満ちているところです(エペソ 1:23)。主イエスの救いに与った私たちは、様々な弱さや欠けがあるでしょう。しかし、内に居られる聖霊によって、互いに建て合い、建てられ ていく群れです。十字架で私たちの贖いを成し遂げられた主を基として、共に神の教会を建てあげて行きましょう。
おわりに
私たちは、十字架につけられたキリストこそあらゆる信仰の歩みの土台であることを覚えましょう。この主イエスこそが崇められるべきお方であり、このお方に感謝して仕え、この救い主を宣べ伝える歩みへと進んで行きましょう。

