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『執り成し祈る者』

説教:髙橋正人師
聖書箇所 創世記 17:1-14

はじめに

本日は、神の約束は必ず成就するということと、神は救いのための執り成し手を求めていることをみます。

I.知らずしてみ使いをもてなす

ある日、主は、マムレの樫の木のところで、アブラハムに現れてくださいました。アブラハムは、三人の神の遣いを見るなり、天幕から走って行き、彼らを迎えようと地にひれ伏し、彼らをもてなしました。

「旅人をもてなすことを忘れてはいけません。こうして、ある人々は御使いたちを、それとは知らずにもてなしました」(ヘブル 13:2)。アブラハムは、隠れた姿で自分の所に来られた神の遣いを迎え入れ、もてなすことができたのです。彼は、日常生活における神の働きかけに対して心が開かれていました。ここから、アブラハムの信仰が、普段の生活の中に深く根ざしていたことも知ることができます。私たちも、何気ない普段の生活の中でみ言葉に養われ、聖霊の導きの中を歩むように導かれています(ルカ16:10)。

II.神にとって不可能なことはない

一人が「わたしは来年の今ごろ、必ずあなたのところに戻って来ます。そのとき、あなたの妻サラには男の子が生まれています。」と告げます。しかし、サラはこの喜ばしい知らせを、不信仰からくる「笑う」という応答で受け止めたのです(創世記 18:12)。これはアブラハムも同じでした(創世記 17:17)。彼らは、神の恵みの言葉を、自分たちの現実と、人間の常識や経験によってしか見ることができなかったのです。

神は、彼らの不信仰から出てきた「笑い」を厳しく示しつつも、「主にとって不可能なことがあるだろうか」と、恵みの言葉を語られ、契約を必ず果たすことを宣言されます。今も主は、神を信じきることのできない私たちの弱さをご存じです。ですから、神はみ言葉と聖霊によって、励ましと神の約束の確信を私たちに与えてくださいます。常に私たちと共にいてくださる主に信頼し、主に拠り頼む以上の幸いはないのです。

III.執り成し祈る者

神は、もう一つのことをアブラハムに告げます。それは、ソドムとゴモラの罪を確かめ、滅ぼすべきか否かを決めるということでした(創世記18:20-21)。神が彼にこのことを告げたのは、彼によって全ての人々が神の救いにあずかるようになるという約束のためでした(創世記 12:1-3)。

神に選ばれ、祝福を担う使命を与えられたアブラハムは、自分のためではなく、ソドムとゴモラの救いのために神に執り成しました(創世記18:23-32)。この執り成しは、主イエスの十字架の贖いの雛形でもあります。私たちの救いのために、主イエスは十字架で身代わりに死んで、三日目に復活されました。先に救いを頂 いた私たちは、主の使命を頂いています(マタイ 28:19-20)。「神は、すべての人が救われて、真理を知るようになることを望んでおられる」(Iテモテ 2:4)のですから、私たちは隣人の救いのため、執り成しの祈りを続けましょう。

おわりに

アブラハムは神の遣いたちから、神の約束は必ず成就するということと、神の救いの執り成し手となることを求めていることを知ります。主イエスの十字架の贖いによって救いを頂いた私たちも、執り成し手として神の恵みの福音を隣人たちに伝えて行きましょう。

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