『ミナのたとえ』
はじめに
本日は、主イエスが語られた「ミナ」のたとえから、信仰についてみます。
Ⅰ.やがて帰って来られる主イエス
主イエスは、十字架を目指してエルサレムに近づかれた時、一つのたとえを語られました(ルカ19:11)。そのたとえとは、王位を受けるために遠い国へ旅立つ主人が、十人のしもべに一ミナずつ与え、主人が帰るまでにそれを用いるようにと命じたものでした。
旅立とうとしている主人は、主イエスのことです。そして、しもべたちとは主イエスを信じる者たちのことを示しています。主は、世の終わりに再びこの世に来られます(再臨)。私たちは今、主イエスが再び来られるのを待ち望む時代に生かされています。インマヌエルの主は、主を待ち望む私たちクリスチャンと共に居られます。神のみことばに堅く立ち、御霊に導かれて歩み続けましょう。
Ⅱ.「一ミナ」は主イエスを信じる信仰のこと
たとえ話しで、十人のしもべたちには、一人一人に同じ「一ミナ」が与えられます。主人が帰って来た時、ある者は十ミナ、また他の者は五ミナを増やしたことが記されています(ルカ19:15-19)。ここで「一ミナ」とは、主イエスが救い主であると信じる「信仰」のことをたとえていると考えられます。
すべての人には、皆同じく主イエスの十字架による救いに与る機会が与えられています。また、主を信じて歩む者には、神は信仰の実を豊かに結ばせてくださいます。主イエスという土台の上に、信仰によってどのように建物を建てるかは私たちに委ねられています(Ⅰコリント3:10-15)。私たちの救いのため、主は十字架で贖いの御業を成し遂げてくださいました。主イエスを信じる全ての者は、信仰によって救いを頂き、信仰の実を結ぶようにされていることを覚えましょう(ヨハネ15:16)。
Ⅲ.神からのかけがえのない「一ミナ」
主イエスは、たとえ話しを通して私たちに語られた「一ミナ」という信仰の価値を、どのように見ているかを問うています。主は、やがて終わりの日に、約束の通りに、まことの王としてもう一度帰って来られます。
私たちは、一ミナを布に包んでしまっておいたしもべの様にではなく(ルカ19:20-24)、神が各々に与えてくださった「一ミナ」をかけがえのない大切な価値あるものとして、それを受け取り生かして頂きましょう。父なる神は、私たちの救いのために御子をさえも惜しまずに十字架にかかることを許されたお方なのですから(ローマ8:32)。
おわりに
私たちの王である主イエスは、必ず帰って来られます。その時まで、私たちは与えられた「一ミナ」の信仰を感謝して受け取り、それを働かせて歩んで行きましょう。それがどんなに小さくても、神はそれを喜んで用いてくださるのですから。