『ハンナの祈り』
はじめに
本日の箇所から、神に心を注ぎだして祈ったハンナの祈りについてみます。
Ⅰ.神が許された状況
ハンナは、エルカナという人の妻の一人でした。彼女は、もう一人の妻によって常に悩まされ、誰にも理解してもらえない苦しみの中にありました。この状況は神が許されたことで、このことを用いて、神は彼女を偉大な霊的祝福を与える機会へと導かれます。
ハンナが置かれた苦しい状況は、神の偉大なみわざが始まる前触れでした。私たちも様々な所に置かれていますが、神は私たちを通して、ご自身の力あるみわざを始めて下さることを覚えましょう。「今の時の苦難は、やがて私たちに啓示される栄光に比べれば、取るに足りないと私は考えます。」(ローマ8:18)
Ⅱ.主に祈り求めることが許されている幸い
ハンナは、ひどく苛立たせられ、惨めさと怒りをかき立てられるような状況の中で「立ち上がり」、神への祈りへと導かれます。神に心を注ぎだして祈る彼女の姿は、祭司エリが酒に酔っていると思うほどでした。彼女が「立ち上がった」とは、人と比較し、自分を嘆く思いの向きを、神に向けたことを表しています。
私たちはどのような状況の中でも、御子イエスの御名によって父なる神に祈り求めることが許されています。主は「その日には、あなたがたはわたしに何も尋ねません。まことに、まことに、あなたがたに言います。わたしの名によって父に求めるものは何でも、父はあなたがたに与えてくださいます。」(ヨハネ16:23)と約束されました。私たちには、主に祈り求める幸いが与えられていることを感謝しましょう(Ⅰペテロ5:7)。
Ⅲ.神によって変えられた祈り
ハンナは、神への祈りの中で神に触れられて、その祈り自体が変えられます。それは、自分の願いを何としても成し遂げようとするものではなく、神の前にへりくだって、御心が地の上になるようにという祈りです(詩篇34:18、Ⅰサムエル15:22)。彼女は、人は自分の力によって勝利するのではなく、天地を創造され、命を与える神の力によって勝利する(Ⅰサムエル2:1-10)という確信が与えられたのです。
神の御心を知ったハンナは、神が求めておられることのために、生まれてくる子を神に捧げることを決めます。士師の終わりの時代に(Ⅰサムエル3:1)、神は神の御心に従う人を求めておられたからです。今日の私たちには、父なる神が「これはわたしの愛する子。わたしはこれを喜ぶ。」(マタイ3:17)と言われた主イエスがおられます。祈りにおいて、主は私たちを取り扱われて、祈るべき事を教えてくださいます。私たちは今、主と共に信仰生活を歩み続ける幸いにあることを覚え、なおいっそう神に祈り、神との交わりに生きましょう。
おわりに
私たちもハンナのように、神の前に「立ち上がり」、祈りましょう。どんな苦しみや嘆き、困難の中にあっても、主は私たちが主のもとに来て祈り、交わることを願っておられます。神は、この世が与えることのできない、神の子としての恵みを与えてくださるのです。