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『主イエスの洗礼』

説教:髙橋正人師
聖書箇所 マタイ3:13-17

はじめに

本日は、「正しいことをすべて実現することが、わたしたちにはふさわしいのです」といわれて洗礼を受けられた主イエスの姿から、神の救いについてみてまいります。

Ⅰ.洗礼を受けられる主イエス

主イエスは、洗礼を受けるためにバプテスマのヨハネの所に来ました。ヨハネは、自分こそが主からバプテスマを受けるべき者であると言います。しかし、主は「今はそうさせてほしい」と言って、バプテスマを受けました(マタイ3:13-15)。

罪のない主が、悔い改めのためのヨハネのバプテスマを受けたのは、この洗礼によって、ご自身と私たちを一つに結び付けるためでした。主は、神との正しい関係において生きるべき本来の人の姿を、最初に洗礼を受けることを通して示されたのです。私たちは、信仰の創始者であり完成者であるイエスから、目を離さないで主に従って歩み続けましょう(ヘブル12:2)。

Ⅱ.「正しいこと」が行われるために

主イエスは、「正しいことをすべて実現することが、わたしたちにはふさわしいのです」と言われました。主が言われた「正しいこと」とは、人が神から与えられた命を、神と共に生きていくことです。

罪のために神に敵対している人間は、永遠の滅びへと向かっていました。父なる神は、人が神に与えられた本来の命に生きるようにと、御子を世に遣わされました。御子イエスの十字架の贖いによって、主を信じる者はだれでも罪赦され救われます。そして、神の御霊が与える命に生かされるのです。洗礼は、主イエスを救い主と信じて罪を悔い改め、主が与える命に生きていくことの信仰表明でもあります。

Ⅲ.父なる神は神の子を喜ばれる

主が洗礼を受けられると、天が開けて神の御霊が鳩のように主の上に降って来られ、天から声がありました。このことは、主が約束の救い主であり(イザヤ11:1-2、42:1、61:1etc.)、神の救いと祝福を世にもたらす者であることを示しています。父なる神は、御子イエスが父なる神に仕えて、罪人の救いのために「十字架の死にまで従う」ことを喜ばれました(ピリピ2:8)。それは、父なる神の御心が「すべての人が救われて、真理を知るようになることを望んでおられる」からです(Ⅰテモテ2:4)。

洗礼を受けた主イエスを神が喜ばれたように、私たちも主を信仰によって受け入れるとき、神は私たちを喜んでくださり、神との交わりに生きるようにしてくださいます。主イエスを、心に迎え入れましょう。信じる者には、だれであっても主が共に居られるのです(Ⅰコリント12:3)。

おわりに

主イエスが洗礼を受けたことは、神から命を与えられた全ての人がなすべき正しいことを示すものでした。父なる神が、洗礼を受けた御子イエスを「わたしの愛する子」、「わたしはこれを喜ぶ」と言われたように、主を信じる者を同じように宣言してくださっています。主に倣って、主を心に迎え入れましょう。

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