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『神は陶器師』

説教:髙橋正人師
聖書箇所 エレミヤ18:1-23

はじめに

本日は陶器師と粘土のたとえから、神と神の民、そして私たちの関係についてみます。

Ⅰ.陶器師と粘土=神と人

神は、預言者エレミヤを通して、悔い改めて神に立ち返るべきことを何度も告げられました。ユダの人々は心を頑なにし(エレミヤ17:9)、かえって預言者を殺そうとします。その様な時、神はエレミヤに「陶器師の家に下れ」と命じます。神は、陶器師と粘土の関係をもって、彼を励ましたのです。

たとえの「陶器師」は神、「粘土」はユダの民、人のことを示しています。陶器師である神の御手によって作られる人は、「神の作品」です。私たちは、主イエスの十字架の贖いによって神の民、神の子とされた「神の作品」です(エペソ2:10)。神の民は、主に信頼して主と共に歩んで神の栄光を現すものとされていることを覚えましょう(イザヤ43:4)。

Ⅱ.陶器師なる神に委ねる幸い

エレミヤは、陶器師が制作中の粘土を壊したり作り替えたりして、自分の気に入るように器を作っている姿を見ます(エレミヤ18:4)。これは、神がユダの民に対していかようにも成すことのできる主権と自由を持っておられることを示しています(エレミヤ18:6)。

粘土が陶器師の手の中にあるように、ユダの家は主の御手の中にあり、人々はそれぞれに神の意のままに形作られるのです(ローマ9:21)。私たちを作ってくださる神は、私たちの救いのために御子をさえも惜しまず十字架にかかることを許されたお方です。私たちを愛してやまない神は、私たち一人ひとりを神の尊い器として作り、整え、最善に作りあげてくださいます。全てを、陶器師なる神の御手に委ねることは幸いです。

Ⅲ.私たち土の器に住まわれる聖霊

万物の主権者である神は、ユダに下そうとしていた災いを、民が神に立ち返るならばそれを思い直すと語られました。しかし、民は神の言葉に聞き従わず、自分たちの計画、方法に従って歩み、頑なな心のままに行動しました。その結果、ユダ王国はバビロンに滅ぼされ、民は捕囚となります。

陶器師が制作中の粘土を壊して新しく作り替えたように、神は捕囚を通して民を神の民として新しく立て直されます。主の十字架による救いによって、全てのクリスチャンは罪の自分に死んで、主の御霊をいただいて主の復活の命に生きるものとされました(Ⅱコリント4:7)。土の器であるキリスト者の内には、聖霊が住まわれ、キリストの似姿へと成長させてくださるのです。

おわりに

神は陶器師で、私たちは粘土です。粘土は陶器師の手の中にあり、陶器師である神は、私たちをキリストの似姿に作り上げてくださいます。陶器師なる神に、全てを委ねてまいりましょう。

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